別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Sunday, September 18, 2011

2010年の夏旅 09/さつま町求名

 【2010年8月1日(日)】
 この日は、鹿児島県の「さつま町」まで行こうと思いました。
 さつま町求名(ぐみょう)という所に、ある建築家のデビュー作の別荘住宅と、第2作の小さな記念館が建っているそうです。


 熊本を発ち、JR鹿児島本線で八代に向かいます。八代からは「肥薩おれんじ鉄道」に乗り換えました。


 肥薩おれんじ鉄道は、八代海に沿って走ります。
 海の向うに見えるのは天草諸島だと思います。


 前回に書いた、九州ならではの墓石も見えます。黒い石に金色の文字という取り合わせです。


 水俣駅で電車を降ります。水俣駅には、村下孝蔵さんの記念コーナーがありました。水俣市のご出身だそうです。



 ここから先は、「南国バス」の路線バスで行きます。まずは鹿児島県伊佐市の大口まで、バスでおよそ40分です。



 大口で次のバスに乗り換えます。
 待ち時間に寄った大口図書館には、ご出身である、海音寺潮五郎さんと井上雄彦さんのブースがありました。




 バスで求名を目指します。およそ30分の道のりです。




 求名に着いたのはちょうどお昼時です。持参のおにぎりを食べて、しばらく集落を散策して過ごしました。











 お目当ての建物である小さな記念館というのは、この町でかつて開業していた医師を顕彰して建てられたものだそうです。うわさによると、ふだん建物は閉まっていて、鍵の管理などは町の人がしているとか。


 建物を見つけることはできましたが、管理されている方が分かりません。近所で営業していた美容室の門をたたき、わけを話して、管理されている方を教えてもらいました。


 管理人の方を訪ねると、記念館のカギと、あわせてもうひとつのお目当ての建物・別荘住宅のカギも貸していただきました。僕のように建物を訪ねてくる人が、たまにいるそうです。


 その後は、それぞれの建物で、思うがままに時を過ごしました。
(別に備品などにいたずらをしたわけでは、ありません。)


 別荘で描いたスケッチです。1年後のいま見返すと、あまりいいスケッチではないですが、まぎれもなく現地の空気のもと描いたものです。
 『南の家』 木造1階建 約75m2


 記念館のほうです。こちらはさらにマズいスケッチかもしれませんが…ご容赦ください。
 『ある町医者の記念館』 鉄筋コンクリート造1階建 約76m2
 曲面天井の最高高さは、5600mmあります。


 求名で一日過ごした後、バスに乗り、宮之城という小さな温泉街に行きました。そこの旅館に素泊まりで1泊しました。
 お世話になった旅館は1階が温泉浴場、2階が客室となっていて、近所の人も銭湯がわりに入浴しに来るようです。
 風呂を使ったあと、近所の人はお宅に戻られて、縁側で涼まれたりして過ごしているようです。




(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)
 

Thursday, September 15, 2011

2010年の夏旅 08/九州入り・熊本市

 【2010年7月31日(土)】
 福岡県北九州市の「門司港レトロ」地区で野宿をして、一夜を明かしました。

 夜明け前の門司港駅舎

 ねこが遊んでくれました。

 夜が明けてきました。
 関門連絡船の通路跡のトップライトからも、光が落ちてきます。今日の光と昔の施設、この新旧のコントラストが、僕は好きなのです。



 門司港駅を始発で出発して、まず博多方面に向かいました。


 博多駅で朝食のおにぎりを買い、ふたたび電車に乗り込んで、JR鹿児島本線にて熊本を目指しました。
 しかしやはり野宿では休養が十分に取れておらず、車内ではほとんどダウンして寝ていました。

 まどろみの中、覚えている範囲でも、車窓から見える光景には「九州」を感じました。例えば、田んぼのかたわらの小さな祠の造形に、なんとなく朝鮮半島や大陸の影響を見て取りました。回らぬ頭でメモを取りました。


 そして違いを感じたのは、墓石です。真っ黒い石の地に、文字が金色で施されています。初めて見ました。これにも「九州」を感じました。
(墓石の写真が見つかりません。もしあったら、後日載せたいと思います。)

 さて、熊本には午前10時ころ到着しました。この日は熊本で一日過ごし、宿も取ろうと思いました。

 熊本駅にて 水戸岡鋭治さんによるドローイングでしょうか…

 熊本には市電が走っています。市電で町の中心部(通町筋)まで行くことにしました。駅前で工事中だった曲線型のキャノピーは、どこかで見たデザインだと思いました。旅を終えてから、西沢立衛さんのデザインだと知りました。モノとしてはちょっとゴツく思えましたが、なるほど納得です。




 この日は完全に疲労していました。市の中心部・下通りアーケードのネットカフェに入り、3時間ほど休養しました。ついでに宿を探し、素泊まり2500円の旅館をみつけ、電話して予約しました。

 旅館に行って荷物を置かせてもらい、ひと息ついたあと、熊本城まで歩いてみました。


 熊本城公園には、熊本県立美術館があります。前川國男さんの設計で、氏の代表作のひとつとされています。疲労していようがなにしようが、とにかくこの建物だけは見なくてはと思いました。


 しかし今になって思い返してみて、正直言って美術館の空間の記憶を、残せていません。
 やはり何をするにしても、体調や健康というのは、たいへん大事です。


 名城として名高い熊本城も、中に入るのはパスしました。妙に弱気になって、入場料もケチろうと思ったりして…
 とても大きな城です。天守閣から遠く離れた「戌亥櫓」が、晴天の下にくっきりと影を落としていました。そのスケール感を超越した白昼夢のようなシュールな眺めが、とても印象に残っています。


 熊本市は中心部をアーケードが何本も交差していて大へん栄えており、若者はみなおしゃれで活気のある街でした。何といっても熊本城の威容が市内のいたる所から見えるのが印象的です。食べ物もおいしそうだし…

 しかし今回の旅では体調の都合で、十分に市内を回ることができませんでした。また機会があれば、ぜひ訪れてみたい街です。

 旅館の隣はお菓子屋さんでした。熊本名物の「いきなりだんご」を買って部屋に帰りました。蒸かしたサツマイモと、あんこが入っています。疲れた体にやさしい甘味でした。


(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)
 

Thursday, September 01, 2011

2010年の夏旅 07/鞆の浦

 【2010年7月30日(金)】
 7日目は、広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」を訪ねました。
 JR福山駅からバスで約30分、鞆の浦の海に着きます。


 鞆の浦は、かつては潮の流れが変わるのを待つための重要港湾として、たいへん栄えたそうです。また景勝地としても知られ、万葉集にも詠まれているそうです。



 対潮楼というお寺からの、鞆の外湾の眺めです。
 お社がある手前の小さな島が「弁天島」 その奥の森に覆われた大きな島が「仙酔島」です。


 鞆の内湾の港です。


 江戸時代の港には、特徴的な「5点セット」というものがあり、全て残っているのは鞆の浦だけだそうです。


港湾施設の5点セット
その1 「船番所跡」
 いま建物が建っている石垣(ツタに覆われている)の上に、かつて船番所があり、港に入る船を監視していたそうです。


その2 「波止場」
 江戸時代の波止場がそのまま残り、今も現役で使われているそうです。花崗岩を積んであります。


その3 「雁木」
 雁木と言えば雪国の人間には「和製アーケード」のことですが、鞆での「雁木」とは、船着場の石段を示します。どんな潮位でも船が着けられるよう、海に沈んだ階段状になっているとか。


その4 「常夜燈」
 大きく優美な姿は、そのまま鞆の浦のシンボルでもあります。


その5 「焚火場(たでば)」
 船底のフジツボなどを落とすため、火を焚いて船底を焼いてメンテナンスをしました。作業に便利なように、地面に石を敷き詰めて「焚火場」としたそうですが、大潮の干潮時にしか姿を見せません。写真では焚火場は海の中です。


 また、ジブリの宮崎監督が鞆の浦を気に入り、民家を借り切って滞在し、『崖の上のポニョ』の舞台として構想を練ったとか。
 そして、坂本龍馬の活躍の場でもあったそうです。この年(2010年)は大河ドラマもあり、龍馬めあての観光客も多いようでした。


 鞆には古い建物や路地の町並みが、たくさん残っています。ほんのほんの、ごく一部です。







 ラムネのおばちゃん

 道を教えてくれたおじさま 仏像制作がご趣味だそうです。



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 鞆の浦には、開発計画があります。港を埋め立て橋梁を架け、交通の便を良くする計画のようです。もし実現すると、古い港湾施設と由緒ある景観が損なわれることになります。近年は景観に少し配慮した別案なども出ているようですが、開発事業そのものは、現在「見直し停滞」という状態のようです。
 僕が鞆の浦を訪れたかったのは、まず鞆の浦の景観を見たかったこと、そして開発の現状を感じたかったからです。ゆるやかに弧を描く鞆の浦の港の景観、たくさん残る古き良き建物や路地を、一日かけて歩きました。旅人としてはこの景観が失われるのは反対です。しかし、生活道路の狭さと車通りの難儀さ、開発推進の人が掲げているのぼりなども目にしてきました。どのような結論に落ち着くのか、忘れずにいようと思います。

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 鞆を離れてから手に入れた本です。『日本の宝 鞆の浦を歩く』 三浦正幸(広島大教授)/著 南々社
 鞆の浦の町並みが形成された経緯から、その歴史を読み解く根拠となる建物のディテールまで、たいへん詳しく載っています。もしまた鞆を訪れる機会があるなら、ぜひこの本片手に歩きたい。そのときは一日じゃ、ムリです!


 さて、鞆の浦を後にしてバスで福山駅まで戻り、そのまま一気に九州入りしようと思いました。
 福山駅を16時半ころ出発しました。例によって18きっぷで、福岡県の門司港駅を目指しました。



 途中通過の気に入った駅 福川駅(山口県)

 門司港駅には、23時過ぎに到着しました。実は門司港駅には以前に来たことがあり、僕の大好きな駅舎なのです。

 ホーム上屋も好きです。


 関門連絡船の通路跡です。門司港駅でここが一番好きな場所です。


 門司港駅付近には土地勘があり、また安く泊まれる宿は無さそうなことを知っていたので、「門司港レトロ地区」の某所で、この旅で2度目の野宿をしました。


 ※
 ちょっと都合により、ブログの更新を2週間ほどお休みします。
 また再開しますので、それまで過去記事などでお楽しみくださると幸いです。

 旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。