別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Thursday, September 23, 2010

手すり、どう流す? 【後日追記あり】

 
 前職在職中に、次のようなことが少し問題になりました。

 『ブリッジの途中にエキスパンション・ジョイント(EXP.J)があるとき、
 製作手すりをどのように流し渡すか?』

 特に、地震時の手すりの挙動が問題となります。
 これについて、参考になりそうな事例を集めてみました。

 出かけた先で、橋梁の写真を撮りためてみました。土木の手すりのディテールです。
 大体のところ、「さや管タイプ」 と 「笠木すき間(+カバープレート)タイプ」 に分類できるみたいです。








 (上の写真は、クリック→別ウィンドウで開きます)

 手すりとEXP.Jの、クリアランス同士の位置関係を観察すると、
  「さや管タイプ」 では、「ずらす」
  「笠木すき間タイプ」 では、「そろえる」
 としていることが多いようです。
 技術的な理由もあると思いますが、「表現上の理由」 ととらえてみても、何となく腑に落ちる面があります。

 ここで注目したのが、長生橋の歩道の手すりのディテールです。
 (先ほどの写真の1~4枚目)

 手すりの台座を流して、そこにピッチの細かい手すり子が取り付くタイプですが、EXP.Jの位置に手すり子を1本入れて、クリアランス同士の位置をずらしています。


 このように 「ジョイントの上に、手すりの台座が乗っている」 ようにすると、見たときにより安心感が得られるような気がしませんか?

 既製アルミ手すりには、EXP.Jの専用品が色々とあり、高層マンションなどで採用されているようです。「さや管タイプ」で、XYZ各方向の変位に追従するように工夫されている製品もあるようです。機会があれば実物を見つけてみようと思います。


【後日追記】
 9月26日 長岡市今朝白・栖吉川に掛かる 「大手橋」 にて採取
 第3のタイプです。 一般部の手すりと、どこも全く変えてありません。
 名付けて、「無とんちゃくタイプ」


 車道はエキスパンションですが、歩道から向こうが無とんちゃくです。「歩道部は、誘発目地である」 というほうが正確かもしれません。
 

Thursday, July 22, 2010

直して使う・実践編

 まだ梅雨が明ける前のある日、永年使っていたジャンプ傘が、突然壊れました。
 太い骨が2本、根本からはずれていました。


 実はこの傘が壊れるのは、これが初めてではありませんでした。


 以前に骨が曲がったことがありました。
 ちょっと調べると、その程度なら自分で直せそうなので、その時は専用の金具を買ってきて、直しました。


↑わかりにくいのですが、数個のツメが付いた金具を、曲がった骨の外側 (布側) からあてがい、ツメをペンチで締めて直してあります。
 金具はホームセンターで200円ほどで売っていました。そんな出費で直ります。この程度で買い換えるのはバカバカしい。


 今回も、なんとか自分で直すか、直してもらえる所を探そうと思い、ネットで少し調べました。
 「『大骨』 が 『ろくろ』 からはずれた、ということなのかなあ…」 などと考えながら、様子をみようと傘を開け閉めしたところ、無事だった他の骨や、別のいろいろな箇所が、連鎖的にボロボロとはずれてしまいました。


 手に負えないと思い、この傘を直すのは、あきらめました。


 傘については、あきらめがつきましたが、僕はこれまで、けっこういろんな物を、直し直し使ってきたなあと、思い至りました。
 先日の 『昭和くらしの博物館』 で見た 「いかけ屋」 ではありませんが、僕がいままでに捨てずに直してきたものを、まとめてみようと思います。


■フライパン
 僕が愛用しているフライパンは、韓国風の形状のものだそうです。
 持ち手と本体は、最初は小さなリベットでかしめ留めされていましたが、使いこむうちにリベットがはずれたので、小さいボルトとナットで締めていました。


 しかしある日、本体側のボルト穴が破断して効かなくなり、持ち手がはずれてしまいました。
 しばらくはヤットコでくわえて使っていました。


 そのうちに 「溶接して直してもらおう」 と思うようになりました。
 知人から鉄工所を紹介してもらい、フライパンを持ち込みました。職人さんは、「もっと業務用の大きなフライパンなのかと思った」 と笑いながら、即座に溶接してくれました。すごい、さすが。
 「お礼はいかほどいたしましょうか?」 と聞くと、「じゃあ…千円で(笑)」 とのお答えでした。格安です。フライパンはいまでも全く問題なく、酷使・愛用しています。


■ちゃわん
 父が永年愛用してきた夫婦茶碗を、ある日落として割ってしまったということでした。佐渡の無名異焼のものだそうです。
 僕は 「直してくれる場所を探してみる」 と、茶碗を預かりました。


 知人の陶芸家さんに相談しようかとも思ったのですが、石川県に、直しを専門で請け負っている人がいることを知ったので、お願いをして、茶碗を送りました。
(加賀市・山中温泉の 『ぬしや』 さんといいます。)


 数ヶ月して、茶碗が金継ぎされて、戻ってきました。


 父は最初は 「もったいなくて使えない」 と言っていましたが、最近意を決して(笑)使い始め、喜んでくれているようです。


■デイパック


 黄色い愛車 (自転車) と色をあわせたこのデイパックを、ずっと自分で直しながら使ってきました。


 サイドポケットの破れを縫い、ファスナーのほころびを縫い、そのうちにファスナーが完全に壊れたので、マジックテープやベルトを縫い付けて直し、肩ひもの付け根が裂けてきたので、強引に縫って直し…


 しかしある日ついに限界がきました。それと汗臭い…。
 なのでデイパックは買い替えましたが、これは予備用として捨てずに取ってあります。
 

Wednesday, July 21, 2010

東京・川崎 (後編)

6月第3週
『江戸東京たてもの園』 では、毎回通いつめる前川國男・自邸はもちろんですが、それ以外で印象に残ったところをメモします。


田園調布の家(大川邸)
 大きなパーゴラによる、外構の囲いこみかた。
 建物本体との距離の取りかた。



天明家(農家)の大かまどの土間
 とにかく、光が良かった。



「仕立屋」 のつつましさ
 2畳の居間
 ボランティアガイドの警察署長さん (のコスプレの方) が案内してくれました。



『昭和のくらし博物館』 には、今回初めて行きました。


 旗ざお敷地の2階建の家 (昭和26年築) が、博物館として保存使用されています。 内部撮影禁止なので写真はありませんが、建築的にも民俗学的にも、とても面白い博物館でした。
 婦人之友社が売り出したという昭和初めの整理タンスの、扉と抽斗の割り付けが合理的で、印象に残っています。


 にぎわっている施設でしたが、客が空いたときに、館長の小泉和子さんが、いろいろと説明してくれました。台所は小さいけど使いやすそうで、「その気にさせる」 台所でした。
  「いかけ屋」 が穴を修理した、アルマイトの鍋などを手に取らせていただきました。

Friday, July 02, 2010

東京・川崎 (前編)

6月第3週の週末
 東京と川崎に行ってきました。「江戸東京たてもの園」 「昭和のくらし博物館」 「川崎市市民ミュージアム」 などを見学してきました。


 川崎市市民ミュージアムでは、「ネオ漫画家」 の横山裕一さんの展覧会を見てきました。




 会場では、横山さんの生原稿が、楕円状のディスプレイテーブルに、平置きでグルリと並べられていました。
 会場内での写真撮影が許可されていました。


 僕は横山さんの 『ニュー土木』 を読んだことがあったのですが、この会場で同じ作品を読むと、印象がかなり違いました。

 
 製本の状態で作品を読むのに比べて、平置きディスプレイで原稿を平らなまま(=原稿の本来の状態で)読むと、「受け取る情報とスピードの損失」 が、はるかに少ないことに気付きました。
 頭に入ってくる作品のスピード感が、まったくそこなわれないので、とても興奮しました。


 そんな会場で、僕は 『トラベル』 という作品を初めて読んだのですが、このマンガ = 擬音もセリフも一切なく、鉄道での旅が、ただ淡々とビュンビュンと描かれていく = に、この会場で初めて出会えたのは、とても幸運でした。


 僕もよく鉄道で旅するので実感していますが、目的地までの車内での、ある種のやるせなさとか…次から次へと後方に消えていく、知らない街の魅力的な風景を眺めていく気分とか…
 そういった雰囲気がこの 『トラベル』 の中に、完全に封じ込められ、描き切られていました。


 それを 「スピードのロスがまったくない展示」 で味わえたのですから、我を忘れて見入ってしまいました。
 楕円状のテーブルに沿って作品を読みすすみ、そして気がつくと一周して 『トラベル』 を読み終え、1ページ目と同じ地点にぐるりと戻っていました。名状しがたい不思議な体験でした。


 帰りにミュージアムショップで 『トラベル』 の単行本を、まよわず買って帰りました。


 そして結局僕は、展覧会に2日間、通いました。



 2日目は会期の最終日ということもあり、会場はお祭り状態でした。
 横山裕一さんご本人がいらしたので、僕は 『トラベル』 にサインをいただきました。


 僕が 「展示にとても興奮したので、今日来るのが2度目です」 と言うと、横山さんは 「そうですか…じゃあこれも特別に。」 と不敵に笑い、奥からポスターを出してきて、渡してくれました。
 そちらにもサインをいただき、握手もしてもらいました。あー面白かった!



 サインはイニシャルの 「Y・Y」 なのでしょうか?

Wednesday, June 16, 2010

古民家の解体を見学してきました

6月5日(土)
 なにか僕は最近、「古民家づいて」 いますが…
 長岡市(旧越路町)不動沢の 「井口製材所」 さんによる、古民家解体のデモンストレーションを見学してきました。


 井口製材所は古材のストックや流通・販売に長けていらっしゃるそうです。
 今回解体の対象となった古民家は、井口製材所から道路をはさんで斜向かいに建っていた、築100年ほどだという家屋でした。


 会場に訪れると、家屋はすでに屋根や壁が取り払われて、ほぼ軸組の状態から、デモンストレーションが始まりました。
 とび職さんが2名のぼって部材をはずし、それをクレーンで吊り下ろします。


 フライング・バットレスならぬ、文字通りの 「フライング」 小屋梁と小屋束です。


 後で話をうかがうと、このように部材をひとつずつはずしていくのは、「デモンストレーションだから特別」 だそうです。普段はもう少し、ブロックごとに切り分けながら解体していくような感じだそうです。
 ただ、やはり部材を大切に確保するために、一般的な解体のように 「まず全部グシャッとやって、それから分別」 という方法は、取らないそうです。


 古材は、飲食店などの内装材として、いまやたいへんな人気だそうです。
 曲りのある古い梁などが珍重されますが、お話によると、「越後に多い 『豪農の館』 のような豪邸は、軸組部材としては、あんがい面白みのないものが使われている。逆にとくに有名でもない、戦前くらいまでの一般の古いお宅のほうが、部材としては面白い」 ということです。
 (一方、建具など調度品は、豪邸のもののほうが面白いそうです。)


 また、壁の工法として、越後では雪囲いなどでおなじみの 「落とし板」 は、釘を使っていないために、古材として重宝されているとのことです。


 井口製材所さんの業務のうち、古材部門での売上が大きな割合を占めているそうです。それは地震復旧工事が一段落した後、新築工事の減少にともない、古材部門に業務をよりシフトしていった、という経緯がおありのようです。
(また、プレカットの波及により不要となった 「手刻み小屋」 を、ストックスペースとして有効利用、という意味もおありのようです。)



 古材をはじめ木材のストックが、たくさんありました。


 アートワークの部屋もありました。(←なかなかの高水準でした。)


 ↑R404号線ぞいに並ぶ、彼ら (木のアート人形) が、
 井口製材所さんの目印です。

Monday, May 31, 2010

逆谷の 「古民家再生シンポジウム」

5月30日(日)
逆谷で開かれた 「古民家再生シンポジウム」 を聴講してきました。


…のちほど、もう少し詳しく感想を書きます!


(バタバタなう、なんつって…
 僕はついったーには手を染めません。)

↓つづきです

…と書いてから、2週間も経ってしまいました。(めんぼくございません。) 機を逸しましたが、書きます。


 シンポジウムは逆谷の 『小林家』 を会場として行なわれました。集落の既存の古民家を改修して、アトリエ兼の住居とされています。
 施主の小林夫妻 (小林[菅野]泰史さん、小林花子さん) は、ともに彫刻家でいらっしゃって、スキルを生かして施主工事も積極的に行なわれたそうです。


 まず、平山育男・長岡造形大教授より、逆谷集落を通しての 「民家の豊かさ~長岡と中越の民家」 について、お話がありました。続いて、実際に改修設計を担当された、長岡造形大研究員の西澤哉子さんより、具体的な工事の紹介がありました。


(改修工事/まず綿密に調査と計画。建物を部分的にジャッキアップ→基礎・土台やりかえ、床下に防湿の土間コン打ち、柱の根継ぎ、出桁を支えるせがい梁の一部先端を継ぎかえ、内外壁やりかえ、などなど…


 間取りの変更→生活空間に吹抜けを作る。階段位置を変更。アイランドキッチン導入。水廻りを少し増築。既存いろりの間を整備しなおす。アトリエ部は今後、使いながら手を加えていく。


 小林さんたちの方針として、「外観の大きな変更はしない→集落への敬意」 「使用するのは、自然に帰る素材」。 例えば断熱材は発泡系製品ではなく、杉をコーンスターチで固めたボード製品を使用、など。)


 平山先生からは、興味深い話が色々とありました。(地形と間取りの関係、「幣串(へいぐし)」、などなど…)
 「民家のゆたかさ」 について、ちょっと乱暴にまとめるなら、それは 「すべての造形には、必ず意味があるということ」 「民家や集落は 『神の見えざる手』 によって、形成されたものであること」 という2点でした。


 僕は終了後の懇親会まで参加し、みなさんとお話をして、色々とヒントを得ることができました。(山の幸のごちそうを、たくさんいただきました。自転車だったので、飲み物はウーロン茶で。)


 そのヒントというのは…
 逆谷は集落も建物も 「地霊」 に満ち満ちた土地ですが、そうではない、例えば新興住宅地であっても、何らかの 「敬意を払うべき秩序」 を見つけたい、ということ。(神の見えざる手、というと少し大げさな表現ですが、そういうことです。)
 そして、「床の間・あるいは仏間など、そのような場が担ってきたものについて、もう一度とらえ直し、現代住宅でうまく生かせないだろうか。」 …といったことです。

Friday, May 14, 2010

逆谷・寛益寺 (さかしだに・かんにゃくじ) と
『旧家の薬壺』



 三島の寛益寺というお寺に、仏像を見に行ってきました。小雨まじりの中、自転車で、片道22kmほどでした。
 秘仏の薬師観音が御開帳されていました。他に、十二神将や仁王像も拝見しました。
 どの像も力強く、「垢抜けしない格好良さ」 とでも言うのか… 土着的なんですが洗練されていて、その洗練の方向が、例えば京都の仏像などとは全く別の方向に向かっているように思いました。


 あわせて 『旧家の薬壺』 というアートイベントが、改修された古民家を会場にして行なわれていました。 「家型」 をモチーフにした作品などがあり、楽しめました。


 僕が最も印象深かったのは、もと仏間だった部屋の床一面に、テクスチュアが施された石(花崗岩?)の彫刻作品が敷き詰められている空間でした。
 窓から良い光が差し込んでいました。彫刻作品により、部屋 (仏間) の性格が、より際立っているように感じられました。それは僕にとって示唆に富んでいるものでした。


 この民家にて、今月末、「長岡と中越の民家」 「旧家を生かした住まいづくり」 をテーマとするシンポジウムが開かれるそうなので、参加の申し込みをしてから、帰途に就きました。


 逆谷集落は昭和36年の水害で甚大な被害をこうむり、寛益寺の本堂も倒壊したそうです。その後、近年の大地震などを乗り越えた末、住民の方の尽力によりようやく今年、本堂がほぼ再建されたとの事です。