別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Monday, July 24, 2006

Alberto

日曜日は住宅を見学するほかに、もう1ヶ所訪れた。神奈川県立近代美術館・葉山館で開かれている 『アルベルト・ジャコメッティ展』 である。


僕は葉山館に来るのは2回目。以前はアニメーション作家のヤン・シュバンクマイヤーの展覧会を見に来た。
そのとき美術館はかなり混んでいた。シュバンクマイヤーの展覧会はすごく面白かったんだけど、来ていたお客さんが全員シュバンクマイヤーのファンでパペット・アニメーションに詳しい人たちだとは、とうてい思えない感じだった。つまり葉山館はリゾート的な魅力がすごく高く、それで集客力があるんだな、とそのとき僕は理解した。(余談の自慢だが、僕はヤン・シュバンクマイヤー本人に仙台で会ったことがある。)

今回も美術館の人出が多いことが予想された。
僕はジャコメッティにはかなり親しんできた。彼の生い立ちや、シュルレアリスムを経た後に独自かつ唯一無二の存在感を持つ彫刻表現に至ったことや、哲学者・矢内原伊作との交流のエピソードなど、全部知っている。京都の大山崎山荘美術館や笠間日動美術館などで実物の作品も何度か見たことがあった。
僕は、自分がジャコメッティのどんなところに魅かれていて、どんな作品をこの目でじっくりと見てみたいか知っていた。今回はいままで僕が経験していない規模のジャコメッティの展示だけど、限られた時間と体力のなかで、人混みにあらがってすみからすみまで気を張って見る必要は無い。見たいものだけじっくり見ればいい。
(とは言え、もし僕が仮に4日間自由に使えたとしたら、4日ともジャコメッティを見に通っただろう。)

あんのじょう美術館は混んでいたが、マナーの悪い人はおらず、静かに落ち着いて見ることができた。
入場してすぐ、彼の初期の作品 『歩く女Ⅰ』 があり、的確な観察力と造形力の才能が良くわかった。
彼が描いた油彩の肖像画があった。額縁にガラスは嵌っておらず、生で見ることが出来た。彼が何日もかけて描いたであろう筆使いと、そしてそういった痕跡のすえに絵の中の人物が獲得した存在感が、まざまざと見てとれた。特に真正面から見たとき、しばらく釘付けになった。
ある展示室の中央に置かれた真っ白な台の上に、余白をたっぷり取って、針金のように小さな人物像が4つ置かれていた。その鋭い有様に戦慄が走るくらいだった。

窓から海が見える展示室に入ったとき、僕はわかった。僕は今回、これを見るんだ。

海を望む窓の前に、ジャコメッティの彫刻が置かれている。目線の高さの台座の上に小指ほどの大きさの女性像が並んでいる。その先には海と、曇った空が見える。
考えてみればベッタベタな展示だ。けれど葉山館の人は、よくぞこの展示をしてくれたものだ。

海と空を背景に、ジャコメッティの小さな小さな人物像を見る。これはまちがいなく、今ここでしかできない経験だ。僕はもう動く必要は無かった。

・・・あんまり見ていたから、僕の眼のなかで、後ろの曇り空と海が、ジャコメッティの像のまわりだけ白く光るようになった。

すべての展示を見終わり、余韻を抱えつつ部屋を出たとき、大げさに言えば生まれ変わったような気分になっていた。僕は今自分がいる世界とあらためてアダプトした感じだ。
美術館からバスに乗って駅に向かい、長岡に帰る電車に乗った。帰りの電車ではたいがい座れた。こっちは新潟より人が多いから、電車の席は全部うまっている。
きっちりうまった席のひとつに僕は座っていた。誰ひとり僕と親しい人がいるわけではなく、たくさんの知らない人に囲まれて僕は運ばれていった。
しかし普通は気に障るそんな状況も、なぜか今日はまったく気にならなかった。僕は確かに自分が生きているのがわかった。そんな今日の感覚を楽しみつつ、長岡までの長い家路についた。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/
exhibitions/2006/giacometti060531/index.html


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I went to The Museum of Modern Art Hayama to watch Alberto GIACOMETTI.

I watched his sculptures, and felt like hearing Alberto's raw voices through his works.

And, I felt like that I had understood WHY I'M LIVING HERE NOW.


...Modinha...

visiting some houses


さきの土曜・日曜と、住宅を見学する旅に行ってきた。「青春18きっぷ」 を利用してのローコスト・トリップである。

雑誌などの情報から、「街に開かれている」 と思われる住宅を選んで訪ねた。訪れたのは次の4つの住宅。(訪れた順)
佐藤光彦:設計 『西所沢の住宅』
アトリエ・ワン:設計 『ミニ・ハウス』 (練馬)
手塚貴晴+手塚由比:設計 『屋根の家』 (秦野)
アトリエ・ワン:設計 『アニ・ハウス』 (茅ヶ崎)

個人住宅を見るわけだから、ふるまいは常識の範囲を守る。立ち止まってしげしげと観察したり大っぴらにスケッチしたりカメラを向けたりするのは控える。あくまで通行人として眺めるだけである。
しかし現地に足を運んでみて、初めて本当にわかったことがあり、大きな収穫だった。

それはどういうことかというと、雑誌で建築家が自作を解説している文章を読んだり、スタイリッシュにトリミングされた写真を見ていると、「家と街とがラディカルに結び付けられているのか」 とか、「周囲に自己主張しまくっている存在感なのか」 と思ってしまう。
ところが現地を歩き回ってみると、訪れた住宅はどれも、周辺のコンテクストをかなり色濃く反映していて、決してまったく異質な存在ではなかった。宇宙船のごとくに啓蒙的な住宅が突然降り立ったわけではなく、周囲によく根ざしていた。

『西所沢の住宅』 (http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/jt/jt2001/jt08/work/01/main.html) は、2003年度JIA新人賞を受賞していて、そのときの審査コメントを読むと、ものすごく過激な住宅のように思えた。(http://www.jia.or.jp/member/award/newface/2003/kouhyou.htm)
しかし、細い路地が入り組んだ密集住宅地である現地の家々はどれもみな、周囲との関係がすごく近くて、そこでは 『西所沢の住宅』 のファサードの空地の取り方と開口部がとりたてて異常なものに思えなかった。木造モルタル+リシン仕上の外壁も周囲によく見られるもので、これもコンテクストを反映したもののように感じた。

『ミニ・ハウス』 (http://www.bow-wow.jp/profile/works.html) は、塚本由晴さんの解説文を読んだり配置図を読み取ったりすると、建物を中央に配置することで、周囲との関係を風通し良いものにすることをねらっているのかな、と僕は理解していた。
実際に行くと、現地の住宅の敷地はどれも一様に狭く、『ミニ・ハウス』 に取られた空地も小さい面積のもので、植栽が大きく育っていることも加わって、周りの住宅との差異をそれほど感じない。前面道路に対しては、開口部が無くわりと防御的で、また2層目のボリューム (雑誌の写真でミニ・クーパーを停めている上部のところ) のレベルでは接道している印象で、周囲の住宅よりとびぬけた開放感があるわけでは無かった。

『屋根の家』 (http://www.tezuka-arch.com/japanese/works/roof/01.html) は、事前情報の段階から、僕にとってかなり好ましい住宅だった。屋根の使い方は文句無く発明的なアイディアだし、屋根の下の住居部分のプランニングも、各方向に視線を抜けさせる気持良さが巧みだと思う。
現地は斜面に造成された団地で、街の人達によって良い環境の住宅地が形成されていた。各戸の敷地は比較的広く、それぞれが眺望を何らかの形で意識して建てられている印象だった。実際に見た 『屋根の家』 は、周辺コンテクストが持っている建物のボリューム感・庭の取りかた・眺望に対する構えを素直に引き継いで、それらを健全に育てて突き抜けさせた住宅のように思えた。

『アニ・ハウス』 は 『ミニ・ハウス』 と同様の配置のされ方である。前面に大きな開口部があるので、周辺との親和性が 『ミニ・ハウス』 より高い。建物のボリュームはだいたい 『ミニ・ハウス』 と同じだが、敷地が広いので、取られた空地はより効果的に思えた。
だが周囲の住宅にも、『アニ・ハウス』 と同じくらいの庭を抱える余裕があり、『アニ・ハウス』 はその住宅地の良い性格を助長しているように思えた。周囲に異を唱えるのではなく積極的に評価して、それを意識して体現したようなすがすがしさがあった。その 「すがすがしさ」 の実現のために、外壁の素材としてガルバリウム鋼板スパンドレルが採用されたように見てとれた。

どの住宅も、建築家の頭の中だけで生み出されたわけではなく、例外なく周辺環境のコンテクストから出発して設計されたものだった。この本当にあたりまえのことが、実物ではなく建築メディアだけ見ていた僕にはわからなかった。僕の中でイメージが肥大しすぎていたことが良くわかった。
雑誌に載るようなすぐれた住宅も、実のところはすごく素直な存在だった。
つまり、もしプロジェクトに行き詰まったら、僕の敷地と、そこから僕が素直に感じる感覚にたち帰ること。それに従うのがよい。


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I went to watch my favorite houses last weekend.
Those real and actual houses taught me so many things never being understood within limited images on the architectural medias.


...Modinha...

Sunday, June 18, 2006

around Kanazawa in a day


もうそろそろ、すぐれた実物の建築が見たくなった。今週は1日しか休みが無いが、OLさんのように 「自分にご褒美」 みたいな感じで、少しムリして、日帰りで金沢に行くことにした。
兼六園の隣の 『成巽閣』 に、すごい空間があるらしい。

長岡から特急で3時間、金沢に着いた。
金沢をちゃんと訪れるのは1年ぶり・2回目。でも短時間なら、電車の待ち時間にしばらく街を歩いたり、たびたび来ている。高3のとき大学受験でも来た。

金沢駅から武蔵ヶ辻まで歩くとき、僕は一本わきの 「横安江町」 のアーケードをよく通る。
久しぶりで金沢に来てそこに行ってみたら、しばらく場所がわからなかった。アーケードが撤去されていたのだ。
アーケードがなくなり雰囲気がガラッと変わった。ポケットパークが整備され、小型バスが乗り入れてループ運行されているらしい。
上が今回の写真、下は以前撮った写真です。


カフェギャラリーに立ち寄り、シンプルな木の箸置きを買った。店員さんに 「アーケードが無くなったんですね。」 と聞くと、「去年の秋に撤去されました。すごく明るくなりました。」と答えてくれた。地元商店の方々には好評らしい。
ストレンジャーの僕としては、以前の暗めの雰囲気が好きだったっていうことも多少あるけど、でもこれは町づくりの成功例かもね。

さて、今回は日帰りだから、訪ねる建築をピンポイントで絞る。
駅からちょっとした距離を歩いて、成巽閣にたどり着いた。
お目当てのすごい空間というのは、お茶室 「清香軒」 の内路地です。
(絵ハガキをスキャン)


これはまさに 『開いた開口』 ではないか… 日本建築はやっぱりすごいね。
成巽閣は写真撮影禁止で、庭に降りることも禁止されている。だから僕は絵ハガキのように外からのアングルでは内路地を見ていない。清香軒の内側から見せていただいた。

清香軒は特別拝観あつかいで一般の人は入ってこない。拝観を申し出ると、係員さんが錠を開けて案内してくれ、いろいろ説明してくれる。僕が以前に出江寛さんや長岡造形大学の宮澤先生から教わった茶室の基礎知識が役立った。

内路地には (上の写真にはない) 雨戸が一部にはめられていた。雨戸の上部が障子のように紙貼りになっている。開口の位置としては 「雪見」 の逆の状態。
雨戸が開いたところから光が差し、路地はぼんやりと明るく、濡れた石が光っている。すずしい風が通り抜けてきた。
内路地は北陸地方特有のものだけど、遣り水まで引き込んだのは他に例がないそうだ。僕が惹かれたのもまさにそこで、流れをまたいで地面に敷居をまわしてしまう想像力・創造力は、本当にすごいと思う。
聞けばこの敷居は置き敷居で、夏には取り外されたりするらしい。また金沢は積雪がある土地なので、冬は雨戸を閉め切るが、雨戸の紙貼りから光が入り、そして辰巳用水を引き込んだ遣り水は冬でも枯れないそうだ。(清香軒の拝観は11月まで、4月から再開)

絵ハガキほどのフォトジェニックな光景は見れなかったけど、スケール感や空気の感じをしっかりと見届けた。
今日は梅雨の晴れ間の良い天気だったが、案内してくれた係員の女の子は 「雨の日は庭の苔の色がきれいになり、それは普段と本当に違う。私はそちらのほうが好きです。」 と教えてくれた。

成巽閣を出て、兼六園に初めて入ってみた。苔や池の水がきれいだ。このように洗練されていて歴史や文化の厚みが感じられる場所は、新潟にはそんなにない。
疲れたから、茶店で 「あんころもち」 とお茶をたのんで、縁台でいただいた。池の鯉の群れがすごく元気だった。

兼六園を出た後は、当然、『金沢21世紀美術館』 に行く。


ここは1年ぶり2回目だ。1年前のころ、僕は白井晟一の空間性にイカレていたので、21世紀美術館のことは 「真っ白だった」 という感想以外あまりおぼえていない。
でも今は、SANAAが建築を設計していくプロセスにすごく興味があるし、彼らのコンセプトを見出す眼力と、それを突き詰めていく姿勢をすごいと思っている。
今回は美術館の設計の経緯について、雑誌などで調べて予備知識を持ったうえでやって来た。

彼らのコンセプトは、美術館機能と交流機能をひとつにまとめ、円形の屋根をかけて、どこからでもアクセスできる 「広場」 をつくるというもの。
目の当たりにすると、円の直径が100m以上あり巨大なこと・その高さが1層分と低いこと・素材と色が絞られ、カーブガラスの外壁がツライチであることから、彼らがやろうとした 「広場」 が恐ろしく高い抽象度で実現されていると感じた。

展示は 『ゲント現代美術館コレクション展』。ベルギーのゲント市は金沢市と姉妹都市関係にある。
現代美術は、作者が作品に込めた批評精神や社会への主張がわかったときに、すごく面白く感じる。今回いろいろな作品を見て、作者の意図に気づき、それがシニカルかつユーモラスに表現されているので、思わずニヤニヤ笑いが止まらなくなってしまうことがたびたびあった。
また、お客さんも好奇心旺盛な人たちが多く、そしてどの部屋の学芸員さんも作品について熱心に語ってくれて、とても楽しかった。

SANAAの空間の抽象性は非常に高かった。展示室のプロポーションは、キュレイター側の要望から正方形や黄金比を基準に決められている。ある展示室は、平面のタテヨコも壁展開の天井高も、すべて同じ約10mで、こんな空間体験は今までになかなか無かった。
他では味わえない抽象性は、プロポーションに加えて、展示室も廊下も壁は白、床はコンクリート金ゴテ押えのタタキで統一されていることが大きかった。まるで、一度足を踏み入れたらなかなか抜け出せない現代アートの迷宮みたいだ。すごい建築を見せつけられた、という印象が強く残った。

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I visited Kanazawa.
People in Kanazawa were very gentle and kind. In Niigata, my ordinary surroundings, people are cool and unfriendly, if anything. At my office, staffs exchange greetings just in low voices. I realy don't like that.

But people in Kanazawa were very friendly. I was treated warmly by many people - the lady in the information center of Kanazawa Station, the receptionist of Kenroku-En, and the girl who guided me at Seison-Kaku.
I felt like getting back my humanity. It was so good.


...Modinha...

Sunday, May 21, 2006

Kazuo SHINOHARA and Masayoshi NAKAMURA

日曜日の朝、宿を出て、小田急線に乗る。
バスに乗り換えて、川崎市細山にある 『中村正義の美術館』 に行く。

中村正義は1924年に生まれ、1976年に癌のため亡くなった日本画家だ。現在、ご自宅だった場所が 『中村正義の美術館』 として、ご遺族により運営されている。

中村さんはいちおう日本画家にカテゴライズされているが、その作風は日本画という概念をはるかに超えて多岐に渡っている。また、生涯を通じてたくさんの自画像を描き続けたことでも知られている。
今回、『100枚の顔 展』 として、およそ100点の自画像が一堂に展示されている。

美術館の建物/中村さんの自宅は、篠原一男が1971年に設計した。
建築の世界では、篠原さんの作品として 『直方体の森』 という名前が付けられている。

『中村正義の美術館』 は、孤高のカリスマ建築家・篠原一男 (1925- ) の住宅空間を実際に体験できる数少ない場所である。そしてその空間に中村さんの自画像が100枚も展示されているとあって、僕はすごく期待して訪れた。
ヤンセンや武満の作品で味わったような感覚を、また体験できるのだろうか。


僕がこの美術館に来るのは、3度目か4度目だ。まず初めに訪れて体験をした後、建設当時の篠原さんの言説を読んだり図面を集めたりして、自分の勉強のために模型を作ってみた。

この建築の一番の特徴は、エントランスホールから奥の居間までがまったくの一直線上にあること、そのふたつが巾90cmの細い廊下でつながれていること、そしてその3つの空間がすべて2層分の高さを持つ吹き抜けであることだ。


とても劇的なんだけど、例えば茶室のにじり口や演劇の舞台装置のように、なにかの意味や視覚的効果を演出しようという意図とは、実はまったく無縁の空間である。
それは篠原さんの 「抽象」へと向かう強い志向から来ていると思うんだけど、この空間は個人住宅なのに、まるで古代の神殿のようなきびしさがある。

模型を作ったうえで3度か4度来てみて、今回ようやくスケールや空間の感じの理解が深まってきた。
奥の部屋の2層分の大きな壁には、中村さんの自画像がびっしりと飾られていた。
中村さんのご家族に話を聞くと、このようなかたちで自画像だけを100点も展示するのは初めてだそうだ。
高い抽象性で組み立てられた空間に、自画像だけが架けられている。
もう本当にきびしい神殿か寺院にでも迷い込んだようで、言葉も無かった。

椅子に腰を降ろしてスケッチをした。下手なスケッチだけど、情感や情念のようなものを記録しようとつとめて描いた。
上は僕あてに届いた今回の展覧会の案内をスキャンしたもの。この空間にこれらの絵が飾られている様子を想像してみてください。


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I went to The Museum of Masayoshi NAKAMURA. That was designed by Kazuo SHINOHARA as Masayoshi's residence.

I was soaked with those two Great Person's strong willpower.

I thought, "Now I have to go back to Nagaoka and fight against myself."


...Modinha...

Saturday, May 20, 2006

TAKEMITSU

北浦和で一泊して、土曜の朝に東京に向かった。

まず神田神保町かいわいへ行き、建築雑誌のバックナンバーなどを買った。
天気予報は雨がちだったが、実際の天気はすごく良く、強い日差しで汗をかいてしまう。磯崎さんの 『お茶の水スクウェア』 が青空に屹立している。まるでCG表現みたいに出来すぎた絵だ。


その後、渋谷に向かい、渋谷電力館に行く。『11人の著名建築家によるプロポーザルコンペ』 の結果がパネルと模型で展示されているのを見る。集合住宅の計画のコンペだ。
一等の長谷川逸子案は、30戸ちかい住居を分棟させて、敷地に分散配置している。西沢立衛の 『森山邸』 を連想する。この種の分棟分散タイプは、これからコンペや学生の設計案などで、流行・消費されていくんだろうな。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20060519/129563/

渋谷から地下鉄で乃木坂へ行く。TOTOの 「ギャラリー間」 で 『手塚貴晴+手塚由比展』 が開かれている。
最新計画案の 『ふじようちえん』 の模型が展示されていた。この模型はすごく大きく、部屋いっぱいに展示されていた。1/10というスケールなので、屋上のウッドデッキの張り継ぎの位置など、細部の表現もかなり意識されている。
かたわらの壁面には 『ふじようちえん』 の小さいスタディ模型がたくさん展示されている。初期イメージを探るためらしい、ざっくりとした模型だ。数えてみたら63個あった。

ギャラリーの中庭は、コールテン鋼製の 『キョロロ』 の模型を使ったインスタレーション。上のフロアは、さまざまな計画案のスタディ模型のおびただしい山だった。今日は会期の最終日で、ギャラリーは建築学生でいっぱいだった。


ギャラ間をあとにして、初台の東京オペラシティに向かった。アートギャラリーで 『武満徹 Visions in Time 展』 が開かれている。
代々木上原で乗り換えるとき、天気予報どおりに雨が降ってきた。それもひどい雨だ。

オペラシティに着く。ところどころに見られるコンクリート打放しの柱は杉板型枠、アートギャラリーの内壁はクロス貼り+EP仕上げ、どちらも設計者の柳澤孝彦さんのデザイン・ボキャブラリーだ。杉板型枠の幅がかなり広い割りなので、あまり繊細な印象は感じない。
着いたのはもう夕方で日が暮れた後だった。アプローチの照明計画が見事だった。エスカレーターホール全体の明りをしぼり、エスカレーターの手すり子部分にしこまれた照明が浮き上がる。そしてその行く先に光って見える、オペラシティのロゴマーク。


『武満徹展』 の会場に入った。現代音楽を代表する作曲家・武満徹が亡くなって今年で10年だ。
『ノヴェンバー・ステップス』 の直筆スコアが展示されていた。曲を演奏するための指示の集積である楽譜だけど、グラフィック表現としてとらえてみても独特の魅力がある。すぐれた建築図面と近い種類の魅力だ。

彼が創作イメージを触発された芸術作品が展示されたコーナーがあった。キャプションには 「武満徹ほど、他の芸術家と『交感』した芸術家は無い」 と書かれていた。

オディロン・ルドンの油彩画 『眼を閉じて』 があった。眼を閉じた人物の正面の顔の、首から上の部分が描かれているが、画面の下方に地平線のような線がある。
巨大な頭部が地面から顔を出しているようにも見える。すごく不思議な絵だ。

絵の前にはベンチが設置してあり、その上にヘッドフォンが置いてある。武満がルドンの絵から触発されて作曲したピアノ曲 『閉じた眼-瀧口修造の追憶に』 が聴けるようになっている。
ベンチに腰をおろし、ヘッドフォンを耳にはめた。武満のピアノ曲が流れる。目の前にはルドンの絵が架かる壁がある。
展覧会には何組かの客が来ている。皆さんだいたいヘッドフォンをスルーしていくか、ちょっとだけ耳に当てた後、連れと一緒に次に進んでいく。つかの間、展示室には僕と曲と絵だけになる。
僕はたいがいひとりで行動している。ひとりというのはやりきれなく脆く弱いものだが、ときどきものすごく豊穣な時間が来ることがある。武満の曲とルドンの絵にひたされて、僕は考え事をした。

僕は建築に親しむより前に、美術や音楽に親しんだ。長岡から仙台に出て最初の大学に入り、建築学科に籍を置くようになったけど、学校なんか行かなかった。
武満の曲も昔よく聞いた。マンドリン・オーケストラに入って馬鹿みたいに楽器を練習したり、宮城県美術館の展示が入れ替わるたびに通いつめて絵を見たりして過ごした。そのうち大学を追い出された。

僕は折にふれ、芸術作品に心を動かされる体験を繰り返してきた。その何ともあやしいエネルギーが、今の僕を作り上げてきた。最近忘れがちだったけど、武満とルドンによってその感覚をひしひしと思い出した。

でも僕は今に到るまで、いまだに建築の世界にとどまっている。それは単に僕の性格のせいだ。いちど始めたことはなかなかやめない性格であるだけだ。とくに建築の才能があるわけではないし、もとより絵や音楽の才能に恵まれたわけでもない。本当になにかの才能があれば、もうすでになにかを成し遂げているだろう。
じゃあなぜ建築を続けているのか。なにか僕が惹かれている部分があるはずだ。

長岡に戻ってきた頃から、意識してたくさんの建築を訪ね歩いてきた。音楽や絵に感動するのと同じように建築空間に感動したことも何度かあった。
でも、建築イコール 「美」 ではないと思う。審美的な見地からだけ建築をとらえるのは間違っている。建築は何よりもまず社会的な存在である。社会と切り離されたところで建築単体がいくら美しかったとしても、僕はあまり意味を感じない。
僕にとって建築は、社会と自分を知るためのツールなんじゃないだろうかと思う。建築を考えることで、芸術のあやしいエネルギーにつちかわれてきた僕が、社会に自分をどう表明していくか、その立ち位置がさぐれるような気がする。

ツール:道具ととらえたのには意味があって、僕はいままでに、先輩建築家たちが、どのようにして最初の発想を基本設計段階までディベロップしていったか、その具体的な手段をいくつか知ることができた。さきほど見てきた手塚夫妻の63個のスタディ模型も、その具体的な手段のひとつだ。ツールとしてとらえたとき、建築は僕がやろうとしていることにおいて非常に有力に働くだろうと思われるのだ。

建築は個人的な衝動・動機から出発するけれども、具合的な手続きを経て、最後には社会において具体物として建つ。僕はそこに惹かれている。これをあらためて認識した。
どの段階も揺るがせにできないし、各段階で何をどうしたらいいか、僕は知っている。僕は建築を自分の道具として使いたおそうと思った。

……さてさて。すごく青臭くなってしまった。もうこの段階でこれ以上頭を使う必要はないだろう。
『武満徹展』では、彼のアトリエの様子も再現展示されていた。昨日のヤンセンのアトリエとは対照的に、すごく几帳面に整理されていた。

前回ログと同様に、武満のアトリエの様子を紹介したいと思います。上の写真で僕が持っているのは、『芸術新潮』 2006年5月号、記事の写真は広瀬達郎氏撮影。武満の机の上に、鉛筆と消しゴムが長さの順にそろえて並べられていたのが印象的だった。


http://www.operacity.jp/ag/

このまま長岡に帰ってもよかったけど、芸術と建築を同時に考えることができる場所が、実はもう一ヶ所こちらにある。今日は東京に泊まり、明日そこを訪ねることにした。

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I went to Tokyo Opera City Art Gallery. The exhibition was "TORU TAKEMITSU : Visions in Time".
Sometimes I had listened to his music before.

With listening his music at Opera City, I thought about the beauty and the architecture for me, as like I had done at JANSSEN RETOROSPECTIVE.


...Modinha...

Friday, May 19, 2006

Horst JANSSEN

金曜日から小旅行に出た。
長岡から鈍行を乗り継いで、埼玉の北浦和駅に着いた。
駅からほど近い都市公園に、埼玉県立近代美術館がある。黒川紀章設計のフレーミーな建物では、『ホルスト・ヤンセン展』 が開かれていた。

ホルスト・ヤンセン (1929-1995) は、「デューラー以来の素描家」 と呼ばれたドイツの画家で、凄まじいまでの表現力の持ち主だ。
どんな感じの絵を描くか、興味がある人は美術館へのリンクで確かめてみてください。

http://www.momas.jp/

葛飾北斎をはじめとする日本画に深く傾倒し、また自身の作品にたびたび和紙を使った。ヤンセンが使った和紙は、新潟県小国町を中心に活動している和紙作家・坂本直昭さんが漉いていた。小国町でヤンセンの作品展が開かれたこともあり、僕は何度かヤンセンの作品を目にしていた。

今回の埼玉の展覧会で僕が一番印象的だったのは、「ヤンセンのアトリエ」 と題された一画の展示だ。そこには花や静物を描いた作品が展示されていた。
彼のアトリエは雑然をきわめ、画材や絵のモチーフで埋め尽くされていたらしい。

『エルンスト・ユンガーのために』 という静物画は、小鳥の死骸や骨が机に置かれていて、それを真上から見下ろした構図で描かれている。鉛筆の線描に精妙に色が塗り加えられている。透明水彩のドライブラッシュかと思ったら、画材は色鉛筆とパステルだった。

僕はこれを見て、10年ほど前に見たある絵のことを思い出した。アンドリュー・ワイエスの 『追越し車線』 という絵だ。
アメリカのハイウェイの隅っこで、リスが轢かれて死んでいる。ワイエスはその様子を水彩画に描き、仕上げに道路で死んでいるリスの血を、絵のリスの傷口になすりつけた。当時、僕は絵を見てそのエピソードを知って 「ふーん」 と感心した。
でもそれはヤンセンの絵と比べてみると、どうなんだろうか。

ヤンセンの絵とワイエスの絵は、小動物の死骸というモチーフは共通だし、描写力は二人とも群を抜いている。
でもヤンセンの絵は、ワイエスの絵から感じられる物語性とか感傷とかとはまったく関係なく、対象がただ 「ものそのもの」 としてとらえられ、生々しくこちらに迫ってくる。今回、僕はその 「ものそのもの」 という感覚に強く魅かれた。

ヤンセンは淋しがり屋で破滅型のトラブルメイカーで、絵の着想を得るまでは酒場とかでグダグダと過ごしたが、ひとたび着想が浮かぶと、アトリエにこもって電話線を引き抜き、鬼気迫る絵を描きあげたそうだ。

ミュージアムショップでヤンセン本人を写した写真集を買ってきた。雑然としたアトリエの様子も写っている。
そのままスキャンしてこのブログに載せたりするのは問題がありそうなので…
彼のアトリエの様子はこんな感じです。
Nomi BAUMGARTL : "HORST JANSSEN" より

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With holding my dissatisfaction, I went to Saitama, to watch "HORST JANSSEN RETROSPECTIVE" at Museum of Modern Art Saitama.

I was really shocked by JANSSEN's work.
I could not stop to consider what I really should do.


...Modinha...

Saturday, May 06, 2006

bicycle

きょうは僕の黄色い自転車について書こうと思います。
前回のログでは、20km(推定)の道程にわたって僕をサポートしてくれました。

僕はこれに乗り始めて3年目に入ったところだ。
「ビアンキ」 社の 「アリカント」 というモデルだ。でもこれ本当はレディースモデルなんだよね。

ビアンキ アリカント
僕は自転車に乗るならぜったい、黄色にしようと思っていた。
宮内のロードバイク専門店 「Fin's」 に行って、ちょっと型落ちのクロスバイクを探していたら、こいつが見つかった。
他の男性用サイズのやつをすすめられたりもしたけど、それよりもこれの方がきれいな黄色だったこともあり、結局これを選んだ。

乗っていて 「もう一段高いギアがあればいいな」 と思うときもあるけど、ふだん乗るにはすごく便利だ。軽くて乗りやすい。
泥除けとチェーンガードが付いてるからいつでも気軽に乗れるし、荷台にはカバンや買い物袋が挟み込めるようになっていて、すごく重宝する。
いままでの最長不倒距離は、六日町まで往復した110kmくらいだろうか。

ところで、なんで自転車は黄色がいいかと言うと、東京日本橋の設計事務所でアルバイトをしていたとき、事務所の黄色い自転車を借りてよく乗っていたからだ。
東京の街を自転車で走るのは便利だった。そしてすごく楽しかった。
そのとき自分撮りした写真です。


昼間は銀座の伊東屋まで画材の買出しによく使った。夜、事務所の人たちが帰り、僕ひとりになると、自転車にまたがって東京探検に出かけた。
上野くらいはすぐだったし、丸の内や有楽町にもよく行った。渋谷くらいまで行ったような行かなかったような… とにかく山手線の右側半分くらいの範囲は行動範囲だった。

そのときの楽しかった思い出があるので、乗るなら黄色い自転車以外考えられなくなってしまったのです。

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My bicycle is colored yellow. I love to ride it.

I like yellow bicycles.
Because 4 years ago when I had been Tokyo for 2 weeks, I borrowed a yellow bicycle and rode it around over Tokyo.
It was so fun, and I took a fancy to yellow bikes.


...Modinha...