僕は葉山館に来るのは2回目。以前はアニメーション作家のヤン・シュバンクマイヤーの展覧会を見に来た。
そのとき美術館はかなり混んでいた。シュバンクマイヤーの展覧会はすごく面白かったんだけど、来ていたお客さんが全員シュバンクマイヤーのファンでパペット・アニメーションに詳しい人たちだとは、とうてい思えない感じだった。つまり葉山館はリゾート的な魅力がすごく高く、それで集客力があるんだな、とそのとき僕は理解した。(余談の自慢だが、僕はヤン・シュバンクマイヤー本人に仙台で会ったことがある。)
今回も美術館の人出が多いことが予想された。
僕はジャコメッティにはかなり親しんできた。彼の生い立ちや、シュルレアリスムを経た後に独自かつ唯一無二の存在感を持つ彫刻表現に至ったことや、哲学者・矢内原伊作との交流のエピソードなど、全部知っている。京都の大山崎山荘美術館や笠間日動美術館などで実物の作品も何度か見たことがあった。
僕は、自分がジャコメッティのどんなところに魅かれていて、どんな作品をこの目でじっくりと見てみたいか知っていた。今回はいままで僕が経験していない規模のジャコメッティの展示だけど、限られた時間と体力のなかで、人混みにあらがってすみからすみまで気を張って見る必要は無い。見たいものだけじっくり見ればいい。
(とは言え、もし僕が仮に4日間自由に使えたとしたら、4日ともジャコメッティを見に通っただろう。)
あんのじょう美術館は混んでいたが、マナーの悪い人はおらず、静かに落ち着いて見ることができた。
入場してすぐ、彼の初期の作品 『歩く女Ⅰ』 があり、的確な観察力と造形力の才能が良くわかった。
彼が描いた油彩の肖像画があった。額縁にガラスは嵌っておらず、生で見ることが出来た。彼が何日もかけて描いたであろう筆使いと、そしてそういった痕跡のすえに絵の中の人物が獲得した存在感が、まざまざと見てとれた。特に真正面から見たとき、しばらく釘付けになった。
ある展示室の中央に置かれた真っ白な台の上に、余白をたっぷり取って、針金のように小さな人物像が4つ置かれていた。その鋭い有様に戦慄が走るくらいだった。
窓から海が見える展示室に入ったとき、僕はわかった。僕は今回、これを見るんだ。
海を望む窓の前に、ジャコメッティの彫刻が置かれている。目線の高さの台座の上に小指ほどの大きさの女性像が並んでいる。その先には海と、曇った空が見える。
考えてみればベッタベタな展示だ。けれど葉山館の人は、よくぞこの展示をしてくれたものだ。
海と空を背景に、ジャコメッティの小さな小さな人物像を見る。これはまちがいなく、今ここでしかできない経験だ。僕はもう動く必要は無かった。
・・・あんまり見ていたから、僕の眼のなかで、後ろの曇り空と海が、ジャコメッティの像のまわりだけ白く光るようになった。
すべての展示を見終わり、余韻を抱えつつ部屋を出たとき、大げさに言えば生まれ変わったような気分になっていた。僕は今自分がいる世界とあらためてアダプトした感じだ。
美術館からバスに乗って駅に向かい、長岡に帰る電車に乗った。帰りの電車ではたいがい座れた。こっちは新潟より人が多いから、電車の席は全部うまっている。
きっちりうまった席のひとつに僕は座っていた。誰ひとり僕と親しい人がいるわけではなく、たくさんの知らない人に囲まれて僕は運ばれていった。
しかし普通は気に障るそんな状況も、なぜか今日はまったく気にならなかった。僕は確かに自分が生きているのがわかった。そんな今日の感覚を楽しみつつ、長岡までの長い家路についた。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/
exhibitions/2006/giacometti060531/index.html
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I went to The Museum of Modern Art Hayama to watch Alberto GIACOMETTI.
I watched his sculptures, and felt like hearing Alberto's raw voices through his works.
And, I felt like that I had understood WHY I'M LIVING HERE NOW.
...Modinha...
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