別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Monday, December 13, 2010

2010年の夏旅 01/
会津美里町(前編) 左下観音



 今回の旅では、以前より興味があった国内の場所を、できるだけたくさん回ろうと考えていました。
 宮内(新潟県長岡市)を出発してまず最初に向かう土地は、福島県の会津美里町にしようと思っていました。


 1年半ほど前、福島市で、会津出身で設計をやっているMK君という人と知り合いました。
 とても面白い人物でしたが、彼と話していて、「会津で良い空間はどこだと思う?」 と聞くと、「それは、会津美里町にある、左下観音(さくだりかんのん)の御堂ですね。」 と答えてくれました。


 (余談ですが、僕が過去に知り合ってきた会津の人って、
  とても個性的で芯の強い人物が多いような気がします。
  ね、長岡造形大出身のmitto君。 笑)


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【2010年7月24日(土)】

 「青春18きっぷ」 を片手に宮内を出発し、JR磐越西線で会津若松に向かい、会津鉄道に乗り換え、芦ノ牧温泉駅で下車しました。
 そこから、目指す左下観音まで、歩いて向かいました。


 地形図を手に、途中の集落に立ち寄ったりしながら、5kmほど歩いたでしょうか。
 御堂の案内看板に従い、さらに山道を登っていくと突如、目指す左下観音堂が、眼前に見えてきました。


 MK君の話によると、「まず、ナナメから御堂に近づいていくのがシビれます」 との事。それは実物を見ると、とてもうなずけました。
 斜面に寄り添った 「懸造り」 の御堂です。


 御堂のフロアレベルは全部で3層あり、一番上がアプローチ階となっています。そこまでは、横の斜面の石段を登って辿り着くこととなります。


 記憶から起こしたスケッチなので細部は正確ではありませんが、上図のような構成となっています。

 最上階からの、眼下の美里町の眺めは、まさに絶景でした。


 建物内部には狭くて急な内階段が設けられており、下層に下りていくことができます。
 僕は時間をかけて、各層を登り下りしたりなどして、過ごしてみました。


 ↓現地で採ったプランのスケッチです。きっちり採寸はしていないので、目安と捉えてください。


 全て等スパンで描いていますが、実際には各スパンで間隔が変わっています。写真と見比べると分かっていただけるはずです。方位はうっかり見忘れていました。

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 この建物は、岩場の地形を巧みに取り込み、柱だけでなくスラブの束や大引の支持体としても岩を貪欲に利用しています。建物が岩にまるで寄生するかの様子が、プランにも表れています。


 僕がこの建物から受けた感銘ポイントは、岩場に懸造りの御堂を建てることで、「メリハリが必然的に生れている」 ことです。


 「メリハリ」 とは、開口部と壁、光と影、急な階段を登り下りせざるを得ない身体性、などを指します。
 また、水子地蔵のための小さな洞窟があったりと、宗教建築らしい 「巡礼性」 と言いますか、シークエンスの場面の豊富さが、大きくない御堂とそのランドスケープに実現されていました。


 さらに、岩の存在感や、懸造りという形式から、「必然性」 というものについて、意識したり考えたりせざるを得ないように感じました。


 他にも素材のこと…たぶん無塗装で、かつあまり刃物による平滑な仕上げをされていない木が、ほとんど単一の素材として使われていることなど…たいへん刺激的な建物の体験でした。薦められただけのことは充分ありました。
 

Tuesday, November 30, 2010

2010年の夏旅 目次

 
  夏旅 01/会津美里町
      02/那須烏山・山あげ祭
      03/川越市
      04/『建築はどこにあるの?』 展
      05/掛川市・資生堂アートハウス
      06/大阪→岡山・後楽園流店
      07/鞆の浦
      08/九州入り・熊本市
      09/さつま町求名
      10/入来麓武家屋敷群
      11/知覧
      12/桜島→マルエーフェリーあまみ
      13ならびに14/喜界島
      15/「島の残照」
      16/大分市→広島へ
      17/広島平和公園→大阪
      18/日本民家集落博物館
      19/金沢
 

Sunday, November 14, 2010

旅の行程図 (改)

 旅から戻った後、いろいろな人のお話を聞いて、山陰や九州の離島の存在に、以前より少し敏感になりました。
 旅の行程図に少し手を加えたので再アップします。クリック→別ウィンドウで開きます。

 隠岐諸島・対馬島・五島列島・甑島列島を描き加えました。
 

Friday, November 12, 2010

夏の旅行の持ち物

 
重い腰をようやく上げて(?)夏に行った旅行の総括を始めています。
(やり遂げられるか不安…でも、やろう。)


延べ19日間の旅でした。7/24~8/11
今回は 「どういう持ち物だったか」 を、まとめてみようと思います。
スケッチはクリック→別ウィンドウで開きます。


カバン類は、いつも使っているデイパック(The North Face 'FUSEBOX')、
はやかわAntique&Crafts(塩沢)で買った、インドのダルキーバッグ、
そして柏崎gallery tanneで買った、谷根のおばさまが
ビニールひもで編んだという 「てごバッグ」 の3つでした。


服装は、麦わら帽子にTシャツ、首には濡れ手ぬぐい(熱中症対策)、
タイパンツ(ショート)、中国製ゴムサンダル(2000円)、
喜界島以降はカンカラ三線のフロシキ、といったいでたちでした。


持ち物は…かさ(使わなかった)、
ホームセンターで売っていた蛇腹式の銀マット
(デイパックに入る大きさに切った。370W×1650L)、
寝袋 (というか寝袋カバーを流用。MSR e-bivy)、防虫ネット (頭にかぶる)、
ヘッドランプ、温湿度計、充電器類、
蚊取り線香、ライター、
チタンのシェラカップ (持ち手は折りたたみ式)、
エスビット・ポケットストーブ+固形燃料、
紅茶のティーバッグ (フェアトレードのやつ。おいしい。)
他に、インスタントコーヒーや、
おしょうゆ (鹿児島しょうゆ。甘い!) を現地で調達。


Tシャツ・下着・手ぬぐい 各3枚
(その日のものは基本的にその日に洗い、朝までに乾かす。)
くつした1足 (結局履かなかった)、
せっけん、歯ブラシ、ひげそり、
薬 (正露丸など)、筆記具、
カッターナイフ (玉ねぎ刻んで食べたりした)、
資料類 (行きたい街の地形図、建物の図面など)
あとは、ジャージ上着と麻のロングパンツ。


すぐ出せるほうのかばんには、
その街の地形図を入れたクリアファイル、竹のものさし、
コンベックス (巻尺)、折りたたんだ針金ハンガーと洗濯ばさみ、
空ペットボトル (水は現地調達)、携帯電話、おさいふ、カメラ、
スケッチブック (これが無いと生きていけない。MUJIのA5ドット方眼、
「さのや」 特製・ペンホルダー付きスケッチブックカバーをかけた)、
スケジュール帳 (途中でなくした)、金銭出納帳、
『コンパクト日本地図帳』 昭文社、
B6のバインダー (再生メモ用紙の束をはさむ。途中の岡山で購入。
とっても便利なメモ・バインダーで、
旅を終えた今日までずっと愛用しています。)
 

Sunday, November 07, 2010

『SNOW LION 天翔ける歌声』 ツアー in 南魚沼


11月6日-7日 『SNOW LION 天翔ける歌声』 コンサートを聴いてきました。
(テンジン・チョーギャル、シェン・フリンデール、寺原太郎 + スペシャルゲスト)
会場は、南魚沼市の 「宝林寺」
I heard the SNOW LION CONCERT in Minami-Uonuma, Niigata.
So emotional music by Tenzin Choegyal, Shen Flindell, Taro Tarahara, and special guest musicians.


 一言では表せないほど深い体験でしたが、大きなお寺の本堂で演奏を聴き、終了後に夜半まで語らい、そのまま宿泊して翌朝に目覚め、座禅を組み、方丈様のご講話を聞き、そして出演者・主催者・観客のみなさんと共に、深い山の参道を登って、胸に秋の空気を吸い込んでから、お別れしてきました。


 僕が特に印象に残ったのは、テンジンさんが操る 「ドラニエン」 という弦楽器です。この楽器に乗せたテンジンさんの歌声と笛、シェンさんのタブラ、太郎さんのバンスリは、僕の体を突き抜けて通り越して、宇宙まで飛んでいきました。
 イラストはクリックで拡大します。
 

Friday, November 05, 2010

エフスタイルでの書家・華雪さんの展示

 
11月4日 新潟市・エフスタイルで開かれていた、
書家・華雪さんの展覧会におじゃましてきました。
エフスタイルに行ったのは、実は初めてでした。
展覧会は今週末、11月7日まで開かれています。


以下 「ネタばらし」 があるので、
これから行くのを楽しみにしている、というかたは、
この先を読むのは、おあずけにされてください。


 僕が華雪さんの展覧会を見るのは、今回で3度目でした。
 初めて見たのは、ちょうど1年前、聖籠町の米蔵で開かれていた 『刺心』 という展示でした。


 当時のことはブログなどにも書きませんでしたが、この展覧会は、とても衝撃的でした。僕にとって2009年度ベストの展覧会だったかも。
 広い米蔵を 「新潟島」 に見立て、華雪さんが描かれた 「新潟島の地図」 を片手に、会場にちりばめられた華雪さんの書をめぐります。それはまさに 「町歩きと発見」 をする空間感覚と全く同じで、それが米蔵の限られた内部で、鮮やかに抽象表現されていたことに、僕はものすごく衝撃を受けました。


 また、書の作品自体に表現されている 「空間感覚・余白の感覚」 も、この上なく刺激的でした。華雪さんご本人がいらしたので、書道家が作品内でいかに 「空間」 を重視されているか、書くときの身体感覚や呼吸を大事にされているか、解説していただきました。
 僕はそれまであまり書道の展示を見た経験がなかったのですが、とてもいい出会いとなりました。


 今回のエフスタイルでの展示も、華雪さんによる見取図を片手に、書をめぐります。
 会場であるエフスタイルの店舗兼事務所は、2棟続きの長屋の壁を一部抜き、つなげて使っています。図式上は単純な構成の建物です。しかしその内部空間は、意外なほど複雑さを感じさせるものでした。


 その中を、地図を片手に、華雪さんの書を見つけながら、何度もぐるぐると巡りました。それはまさに、僕が去年米蔵で感じた感覚と、まったく一緒でした。


 米蔵とは比較にならないほど床面積の小さな建物の中でも、とても複雑な空間回遊の体験がある…またしても、舌を巻かずにはいられませんでした。研ぎすまされた各作品の展示ディスプレイも、たいへん刺激的でした。
 華雪さんがいらしたので、また色々とお話をおうかがいできました。会場での 「往復書簡ワークショップ」 にも参加してきました。


 エフスタイルのお二人は、通常の業務と接客をしながら、展覧会の運営も同時進行でされていました。
 お二人のうわさは色々な場面でかねがねお聞きしていたのですが、今回はじめてお目にかかりました。おいそがしい中、華雪さんの展示について、またエフスタイルの活動について、お話をしてくださいました。エフスタイルが始まって、もう10年になるそうです。
 僕にとっては、新潟の下町の商店街の建物を拠点にされていることが、「建築と地域のかかわり」 を考えるひとつのきっかけにもなりそうで、その点も参考になりました。


(…こう書いていたら、またあの展示を、もっとじっくり見たくなってきました。なんとか日曜日にでもまた行ってみよう。)
 

Thursday, September 23, 2010

手すり、どう流す? 【後日追記あり】

 
 前職在職中に、次のようなことが少し問題になりました。

 『ブリッジの途中にエキスパンション・ジョイント(EXP.J)があるとき、
 製作手すりをどのように流し渡すか?』

 特に、地震時の手すりの挙動が問題となります。
 これについて、参考になりそうな事例を集めてみました。

 出かけた先で、橋梁の写真を撮りためてみました。土木の手すりのディテールです。
 大体のところ、「さや管タイプ」 と 「笠木すき間(+カバープレート)タイプ」 に分類できるみたいです。








 (上の写真は、クリック→別ウィンドウで開きます)

 手すりとEXP.Jの、クリアランス同士の位置関係を観察すると、
  「さや管タイプ」 では、「ずらす」
  「笠木すき間タイプ」 では、「そろえる」
 としていることが多いようです。
 技術的な理由もあると思いますが、「表現上の理由」 ととらえてみても、何となく腑に落ちる面があります。

 ここで注目したのが、長生橋の歩道の手すりのディテールです。
 (先ほどの写真の1~4枚目)

 手すりの台座を流して、そこにピッチの細かい手すり子が取り付くタイプですが、EXP.Jの位置に手すり子を1本入れて、クリアランス同士の位置をずらしています。


 このように 「ジョイントの上に、手すりの台座が乗っている」 ようにすると、見たときにより安心感が得られるような気がしませんか?

 既製アルミ手すりには、EXP.Jの専用品が色々とあり、高層マンションなどで採用されているようです。「さや管タイプ」で、XYZ各方向の変位に追従するように工夫されている製品もあるようです。機会があれば実物を見つけてみようと思います。


【後日追記】
 9月26日 長岡市今朝白・栖吉川に掛かる 「大手橋」 にて採取
 第3のタイプです。 一般部の手すりと、どこも全く変えてありません。
 名付けて、「無とんちゃくタイプ」


 車道はエキスパンションですが、歩道から向こうが無とんちゃくです。「歩道部は、誘発目地である」 というほうが正確かもしれません。
 

Thursday, July 22, 2010

直して使う・実践編

 まだ梅雨が明ける前のある日、永年使っていたジャンプ傘が、突然壊れました。
 太い骨が2本、根本からはずれていました。


 実はこの傘が壊れるのは、これが初めてではありませんでした。


 以前に骨が曲がったことがありました。
 ちょっと調べると、その程度なら自分で直せそうなので、その時は専用の金具を買ってきて、直しました。


↑わかりにくいのですが、数個のツメが付いた金具を、曲がった骨の外側 (布側) からあてがい、ツメをペンチで締めて直してあります。
 金具はホームセンターで200円ほどで売っていました。そんな出費で直ります。この程度で買い換えるのはバカバカしい。


 今回も、なんとか自分で直すか、直してもらえる所を探そうと思い、ネットで少し調べました。
 「『大骨』 が 『ろくろ』 からはずれた、ということなのかなあ…」 などと考えながら、様子をみようと傘を開け閉めしたところ、無事だった他の骨や、別のいろいろな箇所が、連鎖的にボロボロとはずれてしまいました。


 手に負えないと思い、この傘を直すのは、あきらめました。


 傘については、あきらめがつきましたが、僕はこれまで、けっこういろんな物を、直し直し使ってきたなあと、思い至りました。
 先日の 『昭和くらしの博物館』 で見た 「いかけ屋」 ではありませんが、僕がいままでに捨てずに直してきたものを、まとめてみようと思います。


■フライパン
 僕が愛用しているフライパンは、韓国風の形状のものだそうです。
 持ち手と本体は、最初は小さなリベットでかしめ留めされていましたが、使いこむうちにリベットがはずれたので、小さいボルトとナットで締めていました。


 しかしある日、本体側のボルト穴が破断して効かなくなり、持ち手がはずれてしまいました。
 しばらくはヤットコでくわえて使っていました。


 そのうちに 「溶接して直してもらおう」 と思うようになりました。
 知人から鉄工所を紹介してもらい、フライパンを持ち込みました。職人さんは、「もっと業務用の大きなフライパンなのかと思った」 と笑いながら、即座に溶接してくれました。すごい、さすが。
 「お礼はいかほどいたしましょうか?」 と聞くと、「じゃあ…千円で(笑)」 とのお答えでした。格安です。フライパンはいまでも全く問題なく、酷使・愛用しています。


■ちゃわん
 父が永年愛用してきた夫婦茶碗を、ある日落として割ってしまったということでした。佐渡の無名異焼のものだそうです。
 僕は 「直してくれる場所を探してみる」 と、茶碗を預かりました。


 知人の陶芸家さんに相談しようかとも思ったのですが、石川県に、直しを専門で請け負っている人がいることを知ったので、お願いをして、茶碗を送りました。
(加賀市・山中温泉の 『ぬしや』 さんといいます。)


 数ヶ月して、茶碗が金継ぎされて、戻ってきました。


 父は最初は 「もったいなくて使えない」 と言っていましたが、最近意を決して(笑)使い始め、喜んでくれているようです。


■デイパック


 黄色い愛車 (自転車) と色をあわせたこのデイパックを、ずっと自分で直しながら使ってきました。


 サイドポケットの破れを縫い、ファスナーのほころびを縫い、そのうちにファスナーが完全に壊れたので、マジックテープやベルトを縫い付けて直し、肩ひもの付け根が裂けてきたので、強引に縫って直し…


 しかしある日ついに限界がきました。それと汗臭い…。
 なのでデイパックは買い替えましたが、これは予備用として捨てずに取ってあります。
 

Wednesday, July 21, 2010

東京・川崎 (後編)

6月第3週
『江戸東京たてもの園』 では、毎回通いつめる前川國男・自邸はもちろんですが、それ以外で印象に残ったところをメモします。


田園調布の家(大川邸)
 大きなパーゴラによる、外構の囲いこみかた。
 建物本体との距離の取りかた。



天明家(農家)の大かまどの土間
 とにかく、光が良かった。



「仕立屋」 のつつましさ
 2畳の居間
 ボランティアガイドの警察署長さん (のコスプレの方) が案内してくれました。



『昭和のくらし博物館』 には、今回初めて行きました。


 旗ざお敷地の2階建の家 (昭和26年築) が、博物館として保存使用されています。 内部撮影禁止なので写真はありませんが、建築的にも民俗学的にも、とても面白い博物館でした。
 婦人之友社が売り出したという昭和初めの整理タンスの、扉と抽斗の割り付けが合理的で、印象に残っています。


 にぎわっている施設でしたが、客が空いたときに、館長の小泉和子さんが、いろいろと説明してくれました。台所は小さいけど使いやすそうで、「その気にさせる」 台所でした。
  「いかけ屋」 が穴を修理した、アルマイトの鍋などを手に取らせていただきました。

Friday, July 02, 2010

東京・川崎 (前編)

6月第3週の週末
 東京と川崎に行ってきました。「江戸東京たてもの園」 「昭和のくらし博物館」 「川崎市市民ミュージアム」 などを見学してきました。


 川崎市市民ミュージアムでは、「ネオ漫画家」 の横山裕一さんの展覧会を見てきました。




 会場では、横山さんの生原稿が、楕円状のディスプレイテーブルに、平置きでグルリと並べられていました。
 会場内での写真撮影が許可されていました。


 僕は横山さんの 『ニュー土木』 を読んだことがあったのですが、この会場で同じ作品を読むと、印象がかなり違いました。

 
 製本の状態で作品を読むのに比べて、平置きディスプレイで原稿を平らなまま(=原稿の本来の状態で)読むと、「受け取る情報とスピードの損失」 が、はるかに少ないことに気付きました。
 頭に入ってくる作品のスピード感が、まったくそこなわれないので、とても興奮しました。


 そんな会場で、僕は 『トラベル』 という作品を初めて読んだのですが、このマンガ = 擬音もセリフも一切なく、鉄道での旅が、ただ淡々とビュンビュンと描かれていく = に、この会場で初めて出会えたのは、とても幸運でした。


 僕もよく鉄道で旅するので実感していますが、目的地までの車内での、ある種のやるせなさとか…次から次へと後方に消えていく、知らない街の魅力的な風景を眺めていく気分とか…
 そういった雰囲気がこの 『トラベル』 の中に、完全に封じ込められ、描き切られていました。


 それを 「スピードのロスがまったくない展示」 で味わえたのですから、我を忘れて見入ってしまいました。
 楕円状のテーブルに沿って作品を読みすすみ、そして気がつくと一周して 『トラベル』 を読み終え、1ページ目と同じ地点にぐるりと戻っていました。名状しがたい不思議な体験でした。


 帰りにミュージアムショップで 『トラベル』 の単行本を、まよわず買って帰りました。


 そして結局僕は、展覧会に2日間、通いました。



 2日目は会期の最終日ということもあり、会場はお祭り状態でした。
 横山裕一さんご本人がいらしたので、僕は 『トラベル』 にサインをいただきました。


 僕が 「展示にとても興奮したので、今日来るのが2度目です」 と言うと、横山さんは 「そうですか…じゃあこれも特別に。」 と不敵に笑い、奥からポスターを出してきて、渡してくれました。
 そちらにもサインをいただき、握手もしてもらいました。あー面白かった!



 サインはイニシャルの 「Y・Y」 なのでしょうか?

Wednesday, June 16, 2010

古民家の解体を見学してきました

6月5日(土)
 なにか僕は最近、「古民家づいて」 いますが…
 長岡市(旧越路町)不動沢の 「井口製材所」 さんによる、古民家解体のデモンストレーションを見学してきました。


 井口製材所は古材のストックや流通・販売に長けていらっしゃるそうです。
 今回解体の対象となった古民家は、井口製材所から道路をはさんで斜向かいに建っていた、築100年ほどだという家屋でした。


 会場に訪れると、家屋はすでに屋根や壁が取り払われて、ほぼ軸組の状態から、デモンストレーションが始まりました。
 とび職さんが2名のぼって部材をはずし、それをクレーンで吊り下ろします。


 フライング・バットレスならぬ、文字通りの 「フライング」 小屋梁と小屋束です。


 後で話をうかがうと、このように部材をひとつずつはずしていくのは、「デモンストレーションだから特別」 だそうです。普段はもう少し、ブロックごとに切り分けながら解体していくような感じだそうです。
 ただ、やはり部材を大切に確保するために、一般的な解体のように 「まず全部グシャッとやって、それから分別」 という方法は、取らないそうです。


 古材は、飲食店などの内装材として、いまやたいへんな人気だそうです。
 曲りのある古い梁などが珍重されますが、お話によると、「越後に多い 『豪農の館』 のような豪邸は、軸組部材としては、あんがい面白みのないものが使われている。逆にとくに有名でもない、戦前くらいまでの一般の古いお宅のほうが、部材としては面白い」 ということです。
 (一方、建具など調度品は、豪邸のもののほうが面白いそうです。)


 また、壁の工法として、越後では雪囲いなどでおなじみの 「落とし板」 は、釘を使っていないために、古材として重宝されているとのことです。


 井口製材所さんの業務のうち、古材部門での売上が大きな割合を占めているそうです。それは地震復旧工事が一段落した後、新築工事の減少にともない、古材部門に業務をよりシフトしていった、という経緯がおありのようです。
(また、プレカットの波及により不要となった 「手刻み小屋」 を、ストックスペースとして有効利用、という意味もおありのようです。)



 古材をはじめ木材のストックが、たくさんありました。


 アートワークの部屋もありました。(←なかなかの高水準でした。)


 ↑R404号線ぞいに並ぶ、彼ら (木のアート人形) が、
 井口製材所さんの目印です。