別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Saturday, August 30, 2008

長岡中心市街地の雁木

 今日も昨日と同じ道を通って出勤した。

 意識して歩くと、中心市街地において、雁木と歩道の関係が錯綜していることに気がついた。写真は昨日のログで書いた、折板の雁木が作られたビルの場所。歩道と車道との境界は a で、ふつうでいくと敷地境界は c の近辺だが、雁木は b の位置まで作られている。雁木は歩道すべてを覆っているわけではない。いまさらながら気がついた。
 折板の雁木を慣例どおりに新設しても、車道(=除雪インフラ)とピロティ駐車場が直結されるわけではない、ということだ。


 市街地の雁木の位置は、同様になっているところが多い。なぜ現況で歩道と雁木の関係がこのようになっているか、その経緯を事務所の先輩に聞いてみたが、よくわからなかった。(ご存知の方はぜひ教えてください。)現地をさらに観察したら何かわかるかもしれない。都市計画的な謎解きも興味深いが、住宅が都市インフラとどのように関係を結んでいるか、考えるきっかけのモデルケースとして記録した。


 雁木にベンチが置いてある例

Friday, August 29, 2008

長岡中心市街地の雁木


 前回ログで 「長岡の雁木はたぶん減ってきているだろう」 と書いたが、出勤途中に中心市街地を歩いているとき、ちょっと意識すると、まだまだ長岡に雁木はたくさん残っているのに気が付いた。
 樋や電気配線を隠すため屋根が太ったり、看板や何やらで、すっきりしたデザインとは言えないが…



 新しくビルを建てる際にも、折板で雁木を作り、連続させている。これはビル使用者にとっての、ピロティ駐車場の車の出し入れの、冬期の利便性をねらったものであろう。(車道には消雪パイプや除雪車などの行政によるインフラが存在するが、歩道の除雪は基本的に各戸にまかされている)
 また、飲食店のカーポート屋根を延長させ、位置と高さを雁木に合わせて作っている。(客と町並み両方への気配り?)


 横の路地には雁木は作られていない。当たり前か…


 隅切り部の連続


 各戸で柱に色を塗ったり、いろいろ工夫している。



 雁木と住宅の取り合いの例 土間(駐車場)、作業場(店舗・座敷)
 ふむふむ、なるほど…

Tuesday, August 26, 2008

旧・井波町

 最近よく思うのは、(長岡の)雁木って、つくづく優れている。(数が減っているだろうから 「優れていた」、かな) 風土に根ざした共同体の哲学があり、それがちゃんと形態の次元まで落とし込まれている。連続する雁木を見れば、その奥の哲学まで透かして見ることができる。


 それはそうとして、ちょっと思うところがあり、「『美しい町並みは、なぜ美しいのか』 ということを把握したいなー」 と思うようになった。そのために、少し意識して町並みを見てみようと思った。
 しばらく前のNHK総合TVの昼の番組で、富山県南砺市(旧・井波町)のことを放送していて、それを見ていた私は、その町並みに 「おっ」 と感じたことを思い出した。南砺市に行ったことは無いが、他の富山の町には何度か行ったことがあり、町並みが良かった記憶もあった。そこで今回は、井波の町を訪ねてみることにした。高岡市にもちょっと寄った。

↓井波の町





 私にとって、町並みを見るのは建築単体を見るよりむつかしいかもしれない。まだ慣れていないせいであろう。今までにも色んな町並みを見てはいるが、意識の蓄積としてはまだあまり無いんだろう。
 テレビで見た井波の町のどこに 「おっ」 と思ったかというと、テレビカメラが高いところから町並みを見下ろしたとき、低層の瓦屋根の町並みの端ッコに、たいへん巨大な 「瑞泉寺」 があるのが見えていて、巨大な宗教施設を中心とした明快な町の構成が、ちょっと日本離れしていて、どちらかというとヨーロッパっぽいものを感じたのだ。
 今回実際に町を訪れてみて、高いところから町並みを見下ろせる場所に行きたかったが、見つけることができず、町の構造を一望することはできなかった。人間の目線の高さだけで井波の町を歩いて見たときに、「ちょっと日本離れしている」 と感じるかどうかは、わからない。
 井波の町は美しいのか? 美しいと思う。では、なぜ美しいのか? 正直それはまだ説明できない。
 美しい町はなぜ美しいのか? まだわからないが、みんなが同じ事をやっている町並みは美しいと思う。それは間違いない方法であることは間違いない…
 私が目指したいのは、理念や哲学が体現された建築だ。言行を一致させるのはたいへんむつかしい。自分の将来を探る意味でも、そういったもろもろのことを考えるヒントが 「美しい町並み」 にあるんじゃないかという気がしているのだ。


 …まあそれはそうとして、井波はすごく穏やかで、観光客もたいして多くなく、特に、自家用車ではなく路線バスで訪れて町を歩き回ったりしたので、私はすごくのんびりできた。井波は木彫刻の町なので、道に面した作業場で職人さんたちが作業しているところが見られた。木の香りが通りまであふれてきていた。木彫の技巧が注がれた瑞泉寺も良かった。のんびりすることを目的にしても、また訪れてもいいな。「福光屋」 という食堂があり、どじょうの蒲焼が名物だそうで、私はどじょうの蒲焼丼と吸い物を注文した。どじょうのクセがあるが、上手に料理してあって、おいしかった。食べ終わってあらためてメニューを見たら、うなぎの蒲焼丼がどじょうの丼とおんなじ値段だった。次はうなぎ丼にしてみようかな。


 高岡では 「瑞龍寺」 に行った。高岡の町並みを見る時間は無かった。
 私は瑞龍寺に来たのは2度目である。町並みとかはひとまず置いといて、ここは建築単体として、また環境単体として素晴らしい。境内に入ると俗世間と空気が違う。建築を目指す者として、心を洗われて帰ってきた。


Monday, August 04, 2008

Handmade MISO after that

↑お皿が花火に見えなくもない?

 さて、春に仕込んだ味噌の天地返しを敢行した。表面には 「たまり」 が1カップくらいあがっていた。かびは、直径5mmくらいのものが1ヶ所発生していただけだったので、取り除いた。重石を重めにしていたのが、かび対策に功を奏したと思われる。
 春に比べだいぶ色が濃くなり、香りも、よりこなれたものになったようだ。たまりと味噌を少し取り分けておいて、きゅうりにつけて食べてみたらおいしー! こうじがたっぷり入っているので、まろやかな味がする。この調子でさらに熟成よ、すすめ…