それはそうとして、ちょっと思うところがあり、「『美しい町並みは、なぜ美しいのか』 ということを把握したいなー」 と思うようになった。そのために、少し意識して町並みを見てみようと思った。
しばらく前のNHK総合TVの昼の番組で、富山県南砺市(旧・井波町)のことを放送していて、それを見ていた私は、その町並みに 「おっ」 と感じたことを思い出した。南砺市に行ったことは無いが、他の富山の町には何度か行ったことがあり、町並みが良かった記憶もあった。そこで今回は、井波の町を訪ねてみることにした。高岡市にもちょっと寄った。
↓井波の町
私にとって、町並みを見るのは建築単体を見るよりむつかしいかもしれない。まだ慣れていないせいであろう。今までにも色んな町並みを見てはいるが、意識の蓄積としてはまだあまり無いんだろう。
テレビで見た井波の町のどこに 「おっ」 と思ったかというと、テレビカメラが高いところから町並みを見下ろしたとき、低層の瓦屋根の町並みの端ッコに、たいへん巨大な 「瑞泉寺」 があるのが見えていて、巨大な宗教施設を中心とした明快な町の構成が、ちょっと日本離れしていて、どちらかというとヨーロッパっぽいものを感じたのだ。
今回実際に町を訪れてみて、高いところから町並みを見下ろせる場所に行きたかったが、見つけることができず、町の構造を一望することはできなかった。人間の目線の高さだけで井波の町を歩いて見たときに、「ちょっと日本離れしている」 と感じるかどうかは、わからない。
井波の町は美しいのか? 美しいと思う。では、なぜ美しいのか? 正直それはまだ説明できない。
美しい町はなぜ美しいのか? まだわからないが、みんなが同じ事をやっている町並みは美しいと思う。それは間違いない方法であることは間違いない…
私が目指したいのは、理念や哲学が体現された建築だ。言行を一致させるのはたいへんむつかしい。自分の将来を探る意味でも、そういったもろもろのことを考えるヒントが 「美しい町並み」 にあるんじゃないかという気がしているのだ。
…まあそれはそうとして、井波はすごく穏やかで、観光客もたいして多くなく、特に、自家用車ではなく路線バスで訪れて町を歩き回ったりしたので、私はすごくのんびりできた。井波は木彫刻の町なので、道に面した作業場で職人さんたちが作業しているところが見られた。木の香りが通りまであふれてきていた。木彫の技巧が注がれた瑞泉寺も良かった。のんびりすることを目的にしても、また訪れてもいいな。「福光屋」 という食堂があり、どじょうの蒲焼が名物だそうで、私はどじょうの蒲焼丼と吸い物を注文した。どじょうのクセがあるが、上手に料理してあって、おいしかった。食べ終わってあらためてメニューを見たら、うなぎの蒲焼丼がどじょうの丼とおんなじ値段だった。次はうなぎ丼にしてみようかな。
高岡では 「瑞龍寺」 に行った。高岡の町並みを見る時間は無かった。
私は瑞龍寺に来たのは2度目である。町並みとかはひとまず置いといて、ここは建築単体として、また環境単体として素晴らしい。境内に入ると俗世間と空気が違う。建築を目指す者として、心を洗われて帰ってきた。
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