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「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Monday, July 24, 2006

visiting some houses


さきの土曜・日曜と、住宅を見学する旅に行ってきた。「青春18きっぷ」 を利用してのローコスト・トリップである。

雑誌などの情報から、「街に開かれている」 と思われる住宅を選んで訪ねた。訪れたのは次の4つの住宅。(訪れた順)
佐藤光彦:設計 『西所沢の住宅』
アトリエ・ワン:設計 『ミニ・ハウス』 (練馬)
手塚貴晴+手塚由比:設計 『屋根の家』 (秦野)
アトリエ・ワン:設計 『アニ・ハウス』 (茅ヶ崎)

個人住宅を見るわけだから、ふるまいは常識の範囲を守る。立ち止まってしげしげと観察したり大っぴらにスケッチしたりカメラを向けたりするのは控える。あくまで通行人として眺めるだけである。
しかし現地に足を運んでみて、初めて本当にわかったことがあり、大きな収穫だった。

それはどういうことかというと、雑誌で建築家が自作を解説している文章を読んだり、スタイリッシュにトリミングされた写真を見ていると、「家と街とがラディカルに結び付けられているのか」 とか、「周囲に自己主張しまくっている存在感なのか」 と思ってしまう。
ところが現地を歩き回ってみると、訪れた住宅はどれも、周辺のコンテクストをかなり色濃く反映していて、決してまったく異質な存在ではなかった。宇宙船のごとくに啓蒙的な住宅が突然降り立ったわけではなく、周囲によく根ざしていた。

『西所沢の住宅』 (http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/jt/jt2001/jt08/work/01/main.html) は、2003年度JIA新人賞を受賞していて、そのときの審査コメントを読むと、ものすごく過激な住宅のように思えた。(http://www.jia.or.jp/member/award/newface/2003/kouhyou.htm)
しかし、細い路地が入り組んだ密集住宅地である現地の家々はどれもみな、周囲との関係がすごく近くて、そこでは 『西所沢の住宅』 のファサードの空地の取り方と開口部がとりたてて異常なものに思えなかった。木造モルタル+リシン仕上の外壁も周囲によく見られるもので、これもコンテクストを反映したもののように感じた。

『ミニ・ハウス』 (http://www.bow-wow.jp/profile/works.html) は、塚本由晴さんの解説文を読んだり配置図を読み取ったりすると、建物を中央に配置することで、周囲との関係を風通し良いものにすることをねらっているのかな、と僕は理解していた。
実際に行くと、現地の住宅の敷地はどれも一様に狭く、『ミニ・ハウス』 に取られた空地も小さい面積のもので、植栽が大きく育っていることも加わって、周りの住宅との差異をそれほど感じない。前面道路に対しては、開口部が無くわりと防御的で、また2層目のボリューム (雑誌の写真でミニ・クーパーを停めている上部のところ) のレベルでは接道している印象で、周囲の住宅よりとびぬけた開放感があるわけでは無かった。

『屋根の家』 (http://www.tezuka-arch.com/japanese/works/roof/01.html) は、事前情報の段階から、僕にとってかなり好ましい住宅だった。屋根の使い方は文句無く発明的なアイディアだし、屋根の下の住居部分のプランニングも、各方向に視線を抜けさせる気持良さが巧みだと思う。
現地は斜面に造成された団地で、街の人達によって良い環境の住宅地が形成されていた。各戸の敷地は比較的広く、それぞれが眺望を何らかの形で意識して建てられている印象だった。実際に見た 『屋根の家』 は、周辺コンテクストが持っている建物のボリューム感・庭の取りかた・眺望に対する構えを素直に引き継いで、それらを健全に育てて突き抜けさせた住宅のように思えた。

『アニ・ハウス』 は 『ミニ・ハウス』 と同様の配置のされ方である。前面に大きな開口部があるので、周辺との親和性が 『ミニ・ハウス』 より高い。建物のボリュームはだいたい 『ミニ・ハウス』 と同じだが、敷地が広いので、取られた空地はより効果的に思えた。
だが周囲の住宅にも、『アニ・ハウス』 と同じくらいの庭を抱える余裕があり、『アニ・ハウス』 はその住宅地の良い性格を助長しているように思えた。周囲に異を唱えるのではなく積極的に評価して、それを意識して体現したようなすがすがしさがあった。その 「すがすがしさ」 の実現のために、外壁の素材としてガルバリウム鋼板スパンドレルが採用されたように見てとれた。

どの住宅も、建築家の頭の中だけで生み出されたわけではなく、例外なく周辺環境のコンテクストから出発して設計されたものだった。この本当にあたりまえのことが、実物ではなく建築メディアだけ見ていた僕にはわからなかった。僕の中でイメージが肥大しすぎていたことが良くわかった。
雑誌に載るようなすぐれた住宅も、実のところはすごく素直な存在だった。
つまり、もしプロジェクトに行き詰まったら、僕の敷地と、そこから僕が素直に感じる感覚にたち帰ること。それに従うのがよい。


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I went to watch my favorite houses last weekend.
Those real and actual houses taught me so many things never being understood within limited images on the architectural medias.


...Modinha...

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