●7月28日(土)
夏の 「青春18きっぷ」 の季節がやってきた。宇都宮美術館で開催中の 『北欧モダン デザイン&クラフト展』 が面白いらしい。給料もおりたし、行ってみようか。
しかし2週と空けず旅行に出るオレはアホか? 現実逃避だ、病気だ、トリッパホリックだ、放蕩息子だ、中世の放浪学生だ!
・・・じゃあ行こうか。6時41分宮内発水上行に乗った。
越後湯沢からは、首からパスをぶら下げた 「フジロック疲れ」 と思われる人たちがたくさん乗ってきて、寝息を立てはじめた。
乗り換えを繰り返し、宇都宮駅に13時ころ着いた。宇都宮の友人にのちほど会う約束も取り付けた。美術館行きのバスに乗った。窓から見える街並みに、大谷石でできた石蔵や石塀がたくさんあるのが、いかにも宇都宮らしい。20分ほどして美術館にたどり着いた。
宇都宮美術館は岡田新一さんの設計で、先ほど開館10周年を迎えたそうだ。モダンデザイン系の企画展がけっこう盛んで、私は数年前に 『リートフェルト展』 での中村好文さんと柏木博さんの講演を聞きに来たことがある。この建物にも一部に大谷石が使われている。
入館料を払ってプロムナードを進むと、「中央ホール」 と呼ばれる六角形の大空間に入る。美術館の構成は、この中央ホールを中心に、三つの展示室が放射状に取り付いている。
大きな窓から緑の木々の光景が飛び込んでくる中央ホールには、今回、北欧デザインの名作椅子があちこちに置かれていて、自由に座れるようになっている。北欧デザインに関する書籍も備えられていて、手に取ることができる。
置かれていた椅子は、スワン、エッグ、Y、アント、セブン、小さいセブン、アアルトのパイミオ、パントン、ペーター・オプスヴィックの 『ガーデン・リトル・ツリー』 というやつなど。私は全部に座ってみて、だんとつに気に入った椅子が見つかった。それはポール・ケアホルムのpk22だ。
これらの椅子には、私が以前に座ったことがあるものもたくさんあったが、現在の私にはpk22がベストだった。置いてあったのは座面が籐のヴァージョンで、座ると少しきしきしときしむ。ずっと座ってデザイン本をめくっていても、姿勢を変えても、快適でストレスが極端に少ない。他の椅子に座ってから戻ってきて座りなおしたり、展示室を見てからホールに戻ってまた座ってみることを繰り返しても、そのたびに 「あーこれはいいわー」 と思えてしまう。
何度も何度も座って、pk22から見える目の前の大きな窓の景色が、木々の葉が風にそよいだり、晴れていた空に雲が多くなって雨が降りだしたり、刻々と変化していった。こころよきことこの上ない。
備え付けの本の中にはアクタスのカタログがあって、それでチェックしたら、pk22は three handred and eighty thousand yen だった。ぐえ。でもいつかこれが買えるくらいに出世してやる!
三つある展示室のうち二つが 『北欧モダンデザイン展』 に使われていた。私が普段使わないこんな表現が今回はぴったりだった。この展覧会はヤバい!時間がいくらあっても足りない!
スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェーの4ヶ国の総勢62名のデザイナーと46の企業による家具や食器やプロダクトのデザインが展示されていた。へニングセンの 『アーティチョークランプ』 がこんなに美しく光るなんて知らなかった。ヴェルナー・パントンのデザインや作品集がものすごくぶっ飛んでいて刺激になった。
思い切り見まくって、あっという間に16時をまわってしまった。約束していた友人に急いで連絡しなければ、と思っていたら、美術館まで迎えに来てくれていた。
私はこのあと益子町まで行くつもりだった。友人は私を車に乗せ、益子まで送ってくれた。仙台にいたころ、同じように彼の車に乗せてもらっていろんな冒険をした。益子までの車中は、まったくそのころと同じ空気になった。友人が連れてきたふたりの息子さんも、天真爛漫でとてもいい子だった。
急な訪問にもかかわらず私のわがままを聞いてくれた。ツカハラくんどうもありがとう。
益子で友人と別れた。旅館を見つけて、素泊まりの部屋を取った。風呂に入った後、食事をしようと夜の益子に出てみたが、街の店の夜は早く、たくさん歩いた末に、結局食料はコンビニで買った。
部屋に戻ってからハマモトさんに 「益子に来た」 とメールしたら、「スターネットという良いカフェがある」 と教えてくれた。先日の京都の智恩寺手づくり市も教えてもらったし、ハマモトさんはなんでも知っているなあ。
●7月29日(日)
朝、宿を出て益子駅に向かった。駅でレンタサイクルを借りた。電動アシスト車だった。勝手に 「エレクトロ」 と名付けた。初めて乗ったが、電動アシスト車はとまどうほど強力にアシストしてくれた。
街を漕ぎ進み、陶器店が立ち並ぶ通りに来ると、『日下田藍染工房』 という店があった。立派なかやぶきの農家風の建物で、私は中に入ってみた。土間には藍のかめがたくさん埋めこまれていたが、それ以上に私が目を引かれたのは、作業土間の開放感だった。障子がすべて開けられた土間は内部と外部が融合していた。すごくいい空間に出会ったと思った。
エレクトロをとばして、街外れの 「益子の森」 というところまで来た。ここには内藤廣さん設計の 『フォレスト益子』 というレストハウスがある。宿泊施設+休憩施設+レストランというプログラムである。休憩施設に入ってみた。あらわしの鉄骨造架構がスレンダーに、リズミカルにできていた。建物をふたつの扇形にまとめて地形に沿わせ、間に通路を取る構成はさすがだと思った。十日町の図書館も 『海の博物館』 も、私は内藤さんの建物の、特に配置計画や地形とのからみにいつも感銘を受けてきたが、今回もやはりそうだった。
その後は 『益子参考館』 に行った。浜田庄司の旧宅の建物群を博物館にしたものだ。この建物群にはたいへん感心させられた。アプローチとシークエンスの構成が素晴らしかった。
初めに石蔵の展示室に入る。石蔵を見終わると、すこし高台に長屋門を改造した 「浜田庄司館」 が見え、美しい石段と石仏がそこへ導く。長屋門を抜けると、石畳が大きなかやぶきの母屋へと続いている。母屋の横には浜田の工房があり、中に入ると、けろくろが並ぶ工房の土間の中から、少し離れて登り窯が見える。敷地の最後の外れにある大きな登り窯は緑に囲まれ、近づいて初めてその巨大さを知ることができる。
自分が今いるところから次の場所が少しだけ見え、そこに至る道すじが美しく整備されている、ということの繰り返しだった。同じ道をまた戻るのが、また楽しい体験だった。
石蔵には、浜田が生前に手元に置いていた美術品や諸国の民芸品がたくさん展示されていた。李朝の器や文字絵など、同じような物を駒場の民藝館や大阪の東洋陶磁博物館でも見たことがある。でも今日見ている物は、ものすごくストレートに私の中に入ってくるように感じられる。なぜだろうか。石蔵の扉が開け放されていて、空気が動いている中で見ているからだろうか。
登り窯は本当に巨大だった。ぬめっとしていて、宮崎アニメ的造形と言えなくもない。ところどころに開いている空気穴が目玉のように見えた。
参考館の敷地には、いたるところにヤマユリが咲いていた。(後で知ったが益子町の町花だそうだ。) 人の背丈より高いヤマユリ達が、今を盛りと咲き誇っていた。芳香がむんむんと漂っていた。参考館には私しか客がいなかった。至福の時間だった。売店で豆皿をひとつ買った。
益子に来た目的のひとつがやきものだった。自分の部屋に人を招いたときのために、8寸くらいの皿が欲しかった。
参考館の後は 「陶芸メッセ」 に行ったり陶器店に何軒か入ったりしたが、意外なことにそれらの陶器店で売られていたのはなんてことはないものだった。値段は安いが、これから先の日常でずっと使いたいと思えるものではない。町でいちばん大きな売り場には、私のエレクトロを観光バスがぼんぼん追い越して停まっていったが、それを見て、立ち寄るほどの場所ではないみたいだな、と思った。「大誠」 という店にはすごくいいものがたくさんあったが、私の心づもりより少し高い値付けがされていて、冷たいお茶まで出してもらったが、結局買わずに店を出てしまった。オンタや湯町窯に行った経験から、本物を安く手に入れられるかと思って来たが、そうでもないのかもしれない。
そうこうした後に、『みなかわ民芸』 という店に入った。昔ながらの山水画の絵付けがされたやきものがたくさん並んでいた。元気なおばあさんがひとりで店番をしていて、絵付けは全部自分がやったと言う。お名前は皆川ヒロさんというそうだ。
ヒロさんは、皆川マスさんのお孫さんにあたるという。私は皆川マスさんのことを少しだけ知っていて、岩波文庫の柳宗悦の本の中にマスさんのことが書かれたのを読んだことがある。マスさんは益子の絵付け師で、量産の必要に迫られて、生涯を通じて無数の日用雑器に絵付けをして、その絵の持つ 「無心の境地」 のようなものが高く評価された、というような話だったと記憶している。「陶芸メッセ」 にもマスさんが絵付けした大きな土びんが展示されていた。
ヒロさんからいろいろな話をうかがった。マスさんは10歳から仕事を始め、仕事を教え込まれるのに叩かれてしかられるのが嫌で嫌で、早く絵が上達するために、自分のおなかを土びんに見立てて夜中に絵の練習をしたこととか、当時の岸信介大臣とマスさんの交流の話とか。
ヒロさんは12歳から仕事を始めた。岸大臣の命により、マスさんの後継者として白羽の矢が立ったそうだ。仕事を始めて5年経ち、どうにか絵付けを覚えたところで品物を岸大臣に送ると、「よくやっていますね」 という手紙が大臣から届いた。店の壁にはその手紙が飾られていた。
その手紙の隣には、たくさんの新聞記事のコピーがあった。ヒロさんはその中のひとつを指して教えてくれた。それは宮家の方が益子に視察にみえたときの写真で、すでに絵付けを引退していたマスさんとともに、若いヒロさんがお出迎えをして、ヒロさんが絵付けの実演をした。
ヒロさんは言った。「写真じゃよく見えないけど、このとき私は妊娠10ヶ月だったんだよ。大きなお腹を抱えて、座って絵付けしたんだよ。この10日後に生まれたんだよ!」
話を聞きながら何十分も過ごした。私は絵付けがされた8寸皿を1枚買った。
街外れの 『スターネット』 に行ってみた。カフェと雑貨店が併設されていて、カフェのほうは満員だった。
雑貨店のほうを覗いてみた。すごくいい空間だった。商品を見ていたら、ひとつのかばんに目が止まった。ざっくりとした綿布製で、色はコーヒーを使って染められていて、A5のスケッチブックが入るくらいの大きさで、幅の広い肩掛けひもが付いている。試しに鏡の前で下げてみたらすごくいい感じだ。「かみじょうみつよ」 という方の作品だそうだ。でも少し高くて、迷ったけどとりあえず棚に戻した。
店には2階の売り場もあり、上がってみた。切妻の勾配なりの屋根裏部屋で、白い塗り壁と木の床の、明るくやさしい空間だった。階段もよくできていた。2階にもかみじょうさんの作品があり、古い布団わたを打ち直して手作業でつむぎ、たまねぎの皮の色素で染め上げてから作品に織っていく工程が、手づくりのアルバムによって紹介されていた。スターネットの店員さんがいらして、商品の話をいろいろと教えてくれた。
1階に下りてから、さっきのかばんをもう一度手に取った。ぐるぐると頭を悩ませた。そして意を決して店員さんに声をかけ、かばんの取り置きをお願いした。
手持ちのお金では少し足りない。私はエレクトロに乗って街中へ戻り、銀行を見つけてATMでお金をおろした。エレクトロの充電池の残りも少なくなり、益子にいられる時間も残り少なくなった。スターネットに取って返し、かばんを手に入れた。店員さんにすぐ使えるようにしてもらった。
それから駅に戻り自転車を返し、電車に乗って、長い時間をかけて長岡に帰ったわけだが、ずっと下げていたかばんのことを、時間とともにどんどん気に入ってきた。財布は薄くなったが心は豊かになった。深く長い付き合いになると思う。かみじょうみつよさん、これを読んでいるとは思えないけれど、末永く愛用させてもらいますよ! 超濃いーい2日間のデザイン旅行だった。
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I went to Utsunomiya and Mashiko, Tochigi.
Durling this trip, I watched many many excellent design masterpieces - Poul KJAERHOLM's PK22, Tapio WIRKKALA's Knife "Puukko", Hiroshi NAITO's Forest Mashiko, The Mashiko Reference Collection Museum, Tatsuzo SHIMAOKA's pottery works, Hiro and Masu MINAKAWA's pottery works, Mitsuyo KAMIJOU's cotton shoulder bag. (I've got the bag.)
Those things poured good influence for me. My soul was washed and I have made a fresh start in my life.
...Modinha...
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