別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Wednesday, December 21, 2011

2010年の夏旅 11/知覧のまちなみ



 【2010年8月3日(火)】 旅の11日目
 鹿児島市の南に、南九州市知覧(ちらん)という町があります。
 太平洋戦争の末期に、特攻隊の基地が置かれた場所として有名です。多くの若い命が知覧から飛び立ち、散っていったということです。


 そして知覧は、江戸時代の武家屋敷のまちなみが残り、当時の様子を今に伝える町としても知られています。知覧は、前々回のブログ・入来のところで触れた「麓集落」のうちの一つでもあります。
 知覧の武家屋敷のまちなみを見るために、鹿児島市からバスに1時間ほど揺られてやって来ました。


 バス通り(県道)の眺め



 バス通りから1本横に入ると「武家屋敷群」です。



 道幅は狭いです。道の途中でクランクが入り、見通しが一度に効かないのは、防衛目的の武家屋敷町の習いです。通り沿いに並ぶ武家屋敷のうち、7軒の地所と庭園が見学できます。古民家を利用した休憩所もあります。
 庭園には見学料が必要でした。ガイドのSさんがついて、案内してくださいました。


 鹿児島の麓集落の成り立ちについて、説明くださっているところです。


 勧められて、観光写真も撮っていただきました。やや苦笑いかも。でもそうやってコミュニケーションを深めながら、まちをご案内いただきました。


 武家屋敷・庭園の入口には門があり、門廻りの構成は、入来麓と共通するものがありました。すなわち、鍵の手に曲がるアプローチとそれを受ける石塀です。


 7軒の有料公開家屋の門廻り
 1番 西郷恵一郎邸



 2番 平山克己邸



 3番 平山亮一邸
 門の横にあるのは、厠だと思います。


 4番 佐多美舟邸



 5番 佐多民子邸




 6番 佐多直忠邸
 鍵の手を受ける石塀が、独立して立っていました。





 7番 森重堅邸 アプローチを蔵で受け止めています。





 知覧の武家屋敷が名高いのは、まちなみの美しさと共に、庭園の素晴らしさによるものです。庭石や大小の刈り込みを組み合わせ、遠くの山の景色を借景で取り入れている庭もあります。


 西郷恵一郎邸の庭園です。



 平山亮一邸の庭園です。山を借景としています。手前の大刈り込みのサツキが赤く咲くころは、たいへん見事で言葉を失うほどだとか。


 縁側が広く、開放的です。





 板戸を開け閉めするとき、カドにある丸棒を軸に、板戸の方向を90度変えます。この仕組みがあることで、戸袋が開口部の両側ではなく、片側1ヶ所だけですみます。




 知覧の武家屋敷のつくりは、柱の出隅の面を大きく取るのが特徴だそうです。ガイドのSさんは以前に大工仕事もされていたそうで、敷居や鴨居をこの柱面にあわせて加工するのは、かなり難儀な仕事だと教えてくれました。樹種は地元ならではのもので、たしか「タブの木」だとお聞きしました。




 通りの石敢当です。




 独特の形式の古民家(二ツ家)を利用した休み処もありました。



 先ほどと同様の板戸の機構がありました。
「特別だよ」と言って、開け閉めを実演していただきました。



 座敷までつながる開放的な縁側空間で、休ませていただきました。
 知覧はお茶の名産地でもあります。知覧茶と、「あくまき」というお菓子をいただきました。竹皮で巻いたちまきを灰汁でゆで上げるそうです。すごくモチモチして官能的な食感です。お茶と共に、おいしくいただきました。



 武家屋敷で一日すごした後は、バスで鹿児島市内の宿に戻りました。



 この日の夕食は、天文館の「こむらさき」というラーメン屋でとりました。店内は落ち着いた雰囲気で、店員さんのお仕事ぶりや、客へのちょっとした声掛けが気持ちよく、なによりラーメンがおいしい。このお店で鹿児島がさらに好きになりました。


(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)

Tuesday, December 20, 2011

2010年の夏旅 10 (2)/
10日目(後編) 鹿児島市


【2010年8月2日(月)】
 入来の武家屋敷を見たあと、鹿児島市行きのバスに乗りました。


 車中より
 鹿児島を感じる地名


 昼過ぎに、鹿児島中央駅に着きました。


 市電に乗ってみます。


 気ままに降りて、歩いてみます。
 鹿児島ブランドショップ 兼 観光案内所 (モダニズム建築!)
 鹿児島市や、これから行きたい町の情報を得ました。


 黄色い袋は、桜島から降る火山灰を集めて捨てる「克灰袋」
 袋のデザインやタイポグラフィに、シンプルな力強さがありました。手に入れたかったのですが、土地の方に聞くと、支給制の袋なので、商品としては入手できないそうです。



 フェリーの港まで、歩いてみました。
 桜島に初対面です。




 町中のほうに引き返します。
 山形屋というのが一番の老舗デパートらしく、
 そして付近一帯の繁華街は天文館というようです。
 アーケードが縦横に走り、とても栄えていて賑やかです。




 鹿児島中央駅まで、歩いて引き返しました。
 ビジネスホテルをみつくろってチェックインしました。シングル@3800円を二泊で取りました。


 近所の商店街に、買い出し
 「マツダ商店」二晩ともお世話になりました。
 店のおじちゃんが、僕が着ていたTシャツ(キッコーマン野田工場のロゴT)にツッコミを入れてきて、妙に盛り上がりました。


 部屋で夕食 わびしくも、ヘルシーに
 鹿児島の醤油は、甘いです。原材料欄を見ると、砂糖が入っていました。



 地元新潟の友人達に、暑中見舞いを書きました。


(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)

Monday, December 19, 2011

2010年の夏旅 10/入来麓武家屋敷群
そして、旅で確かめたかったこと


 ごぶさたしていました。申し訳ありません。
 昨年(2010)旅記録の再開です。
 旅はちょうど折り返しの頃です。

 【2010年8月2日(月)】


 旅の10日目
 鹿児島県・宮之城温泉で明かした翌朝は、強い雨になりました。
 鹿児島市方面を目指すバスに乗ります。
 



 さて、江戸時代、鹿児島藩は防衛政策として藩内を区分して、地方に藩士を定住させました。藩の中枢には鹿児島城があり、それ以外の地方の領地は外城(とじょう)と呼ばれました。
 外城では、藩士はふだんは農業などに従事して自活しながら、非常時に備えました。


 外城の藩士が住んだ屋敷町を「麓(ふもと)集落」と呼びます。
 鹿児島藩内には数多くの麓集落がありましたが、
 そのうちの一つが、「入来麓武家屋敷群」です。


 バスを乗り継ぎ、薩摩川内市の旧・入来町(いりきまち)に降り立ちました。




 雨は変わらず強く、地元の郵便局でわけを話して、貸し傘を使わせていただきました。
 看板の地図を描き写し、まちあるき開始です。


 ところで、僕はこの旅で、確かめたかったことがありました。
「単体の住宅と、まちとのつながり方」です。


 道路に面した1階の掃き出し窓などで、住宅をまちに直接つなげていいものか?というのは、日頃感じる大きな疑問です。あるいは塀で街路から完全に閉ざすという方法にも、できれば与したくないと考えてしまいます。
 その中間…まちと住宅を、なんとか柔らかくつなげる方法はないものか…僕がいつも考えている問題意識です。


 参考になる先例が、各地に残るまちなみにあるかもしれません。


 鹿児島の麓集落の住居は、どうやら街路を上手に自分の敷地に取り入れている「らしい」ということに、調べあたりました。沖縄の古民家には屏風(ひんぷん)という街路と住居を上手につなげる仕掛けがあるそうですが、同様のものが、麓集落にもあるようです。


 現代地方都市のまちなかに新築される住宅と、江戸時代の地方武家とは、敷地条件からなにから違うので、直接比較するのは乱暴です。しかしチャンスがあるなら、まずは現地に身を置いて、実例をこの目で見てみたいと考えていました。
 そんな思いを胸に、入来麓に来たのです。






 入来のまちなみです。
 通りのことは「馬場」と呼ばれているようです。
 集落の中央を中ノ馬場(なかんばば)が通り、そこから枝のように馬場が分かれています。
 それぞれの武家屋敷は、玉石の石垣で囲われています。石垣のてっぺんには生垣(イヌマキや茶など)や、花が植えられています。敷地の入り口に門が造られている屋敷もあります。


「敷地の入り口部分を、鍵の手に曲げてつくっていること」
 これが、武家屋敷とまちのつながり方の特徴のように感じました。


 一例のスケッチです。(目測なので寸法は目安です。)
 街路から屋敷内に引き込まれた石垣は、鍵の手に曲がり、そこでいったん断ち切られています。その部分の石垣が、外からの視線(と、行動)を、受け止める役目をしています。


 石垣が高くない場合は、向うに屋敷が少し見てとれます。
 また、曲がりながら・見え隠れしながら・奥へと続く通路も、視線と意識を屋敷へとつなげています。




 中ノ馬場にある、印象的な茅葺きの門です。
「鍵の手を受け止める役割」を、ここでは石垣ではなく生垣が果たしています。





 鍵の手のアプローチを設けること、視線と行動をなにかで受け止めることは、まちと屋敷を直結しているのでも、完全に分断しているのでも、ありません。





 麓集落の武家屋敷は、侵入する敵勢力からの防衛を念頭につくられているはずです。見通しを一度に効かせない「鍵の手」という空間形式は、防衛目的のために、城下町の街路ではよく見られる形式です。


 つまり麓集落の門廻りは、「まちと家を柔らかくつなげる」といった生易しいものとは、本来は違うはずです。それでも僕の問題意識に参考になる事例であることは、間違いありませんでした。


 道の分岐点にあった「石敢当」
 魔除けとして置かれていると思います。
 石敢当には、この後の旅で訪れたいくつかの町でも出会いました。入来のこの写真では「せっかんとう」とルビが振ってありますが、別の町では「いしがんどー」と呼ばれていました。



 馬場には、色々な名前が付けられていました。この場所は、風の通り馬場(かぜんとおいばば)といいます。とてもそそられる、面白い名前ですね。
 もともと風の通り道だったために、このように名付けられたのか、あるいは風の通り道として人為的につくられた馬場なのか…
 真相を確かめることはできませんでした。この日は月曜日であり、入来の郷土博物館が休館していたという事情もあります。


 午前中を入来で過ごし、鹿児島市行きのバスに乗るころには、雨は上がっていました。


 旅の10日目・後編の記録へと続きます。


(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)