【2010年8月3日(火)】 旅の11日目
鹿児島市の南に、南九州市知覧(ちらん)という町があります。
太平洋戦争の末期に、特攻隊の基地が置かれた場所として有名です。多くの若い命が知覧から飛び立ち、散っていったということです。
そして知覧は、江戸時代の武家屋敷のまちなみが残り、当時の様子を今に伝える町としても知られています。知覧は、前々回のブログ・入来のところで触れた「麓集落」のうちの一つでもあります。
知覧の武家屋敷のまちなみを見るために、鹿児島市からバスに1時間ほど揺られてやって来ました。
バス通り(県道)の眺め
バス通りから1本横に入ると「武家屋敷群」です。
道幅は狭いです。道の途中でクランクが入り、見通しが一度に効かないのは、防衛目的の武家屋敷町の習いです。通り沿いに並ぶ武家屋敷のうち、7軒の地所と庭園が見学できます。古民家を利用した休憩所もあります。
庭園には見学料が必要でした。ガイドのSさんがついて、案内してくださいました。
鹿児島の麓集落の成り立ちについて、説明くださっているところです。
勧められて、観光写真も撮っていただきました。やや苦笑いかも。でもそうやってコミュニケーションを深めながら、まちをご案内いただきました。
武家屋敷・庭園の入口には門があり、門廻りの構成は、入来麓と共通するものがありました。すなわち、鍵の手に曲がるアプローチとそれを受ける石塀です。
7軒の有料公開家屋の門廻り
1番 西郷恵一郎邸
2番 平山克己邸
3番 平山亮一邸
門の横にあるのは、厠だと思います。
4番 佐多美舟邸
5番 佐多民子邸
6番 佐多直忠邸
鍵の手を受ける石塀が、独立して立っていました。
7番 森重堅邸 アプローチを蔵で受け止めています。
知覧の武家屋敷が名高いのは、まちなみの美しさと共に、庭園の素晴らしさによるものです。庭石や大小の刈り込みを組み合わせ、遠くの山の景色を借景で取り入れている庭もあります。
西郷恵一郎邸の庭園です。
平山亮一邸の庭園です。山を借景としています。手前の大刈り込みのサツキが赤く咲くころは、たいへん見事で言葉を失うほどだとか。
縁側が広く、開放的です。
板戸を開け閉めするとき、カドにある丸棒を軸に、板戸の方向を90度変えます。この仕組みがあることで、戸袋が開口部の両側ではなく、片側1ヶ所だけですみます。
知覧の武家屋敷のつくりは、柱の出隅の面を大きく取るのが特徴だそうです。ガイドのSさんは以前に大工仕事もされていたそうで、敷居や鴨居をこの柱面にあわせて加工するのは、かなり難儀な仕事だと教えてくれました。樹種は地元ならではのもので、たしか「タブの木」だとお聞きしました。
通りの石敢当です。
独特の形式の古民家(二ツ家)を利用した休み処もありました。
先ほどと同様の板戸の機構がありました。
「特別だよ」と言って、開け閉めを実演していただきました。
座敷までつながる開放的な縁側空間で、休ませていただきました。
知覧はお茶の名産地でもあります。知覧茶と、「あくまき」というお菓子をいただきました。竹皮で巻いたちまきを灰汁でゆで上げるそうです。すごくモチモチして官能的な食感です。お茶と共に、おいしくいただきました。
武家屋敷で一日すごした後は、バスで鹿児島市内の宿に戻りました。
この日の夕食は、天文館の「こむらさき」というラーメン屋でとりました。店内は落ち着いた雰囲気で、店員さんのお仕事ぶりや、客へのちょっとした声掛けが気持ちよく、なによりラーメンがおいしい。このお店で鹿児島がさらに好きになりました。
(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)
No comments:
Post a Comment