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Friday, December 23, 2011

2010年の夏旅 13/喜界島


【2010年8月5日(木)】 旅の13日目

  鹿児島県・奄美諸島の「喜界島」を、フェリーで訪ねます。


 喜界島には、僕の学生時代の建築仲間だった友達がいます。友達を訪ねて、初めて島に行ってみることにしました。


 喜界島の港に着いたのは、朝の5時前です。港で夜明けを待つつもりでしたが、ありがたいことに友達が車で迎えに来てくれていました。一度戻らないといけないそうですが、港で長時間過ごすのはシンドかろうということで、ベンチやトイレなどもあるビーチまで送ってくれました。






 美しいビーチで、朝を迎えます。
 くつろいでいると、どこからともなく男性がひとり、現れました。これから朝ごはんを作るが、一緒にコーヒーでもどうだとのこと。ごちそうになりました。
 彼は南の島を旅するのが好きで、半年働いてあとの半年はいろいろな島を廻っているそうです。この年(2010年)の前年に、皆既日食を観測するために喜界島を訪れ、気に入ったので一年後にまたやってきたそうです。ビーチでテント暮らしをしているとか。


 南の島の様々な話を聞かせてもらいました。いろいろな生き方があります。まったく他人のことは言えませんが。僕は建築や町並みを訪ねる旅をしてきたと答えました。彼の名を聞くと、「ピエールです」と、あだ名しか教えてくれませんでした。僕は野田英世と名乗りました。


 これはまた、別の方です。この方もテント暮らしとのこと。
 そうこうしているうちに、友達が迎えにきてくれました。


 島でおすすめの喫茶店に連れて行ってもらい、朝食。
 友達はこの日は仕事が休みなので、島を一日案内してくれることになりました。


 喜界空港の飛行機を見物


 車の窓から見える、とてもユニークな形の樹は、リュウゼツランだそうです。リュウゼツランの花は喜界町の町花だそうです。



 昼ごはんの買出しもしました。
 持っている「ミキ」というのは、米からできている飲料です。僕なりに表現してみると、ミロ(麦芽飲料)に米のおかゆが入っている感じです。人により好き嫌いがあるそうですが、僕は気に入りました。





 午前中は民俗資料館に行くなどして過ごしました。
 喜界島の家を見て感じるのは、とにかく、屋根の作りが薄いということ。屋根はトタン板で葺かれています。ちゃんと確かめた訳ではないですが、建設中の写真を見ると、垂木に野地板を張り、ルーフィングを敷いて、そこにトタン板を乗せて、上から釘留めしているような感じです。


 そして一般住宅に、カワラ葺きというものがほとんどありません。また、二階建てもあまりありません。ほぼ平屋です。
 これはやはり、台風対策が大きな理由だと思われます。


 カワラ葺きでなくトタン板で屋根をつくるのは、瓦職人が島にあまりいないことと、トタンの屋根は比較的簡便につくれるのが理由ではないかということです。つまり、台風で壊れても補修が簡単にできることが重視されているようです。家の廻りには石垣やブロック塀をめぐらせて、風に備えます。



 海が見える高台で、昼ごはん
 僕がいただいたのは「油ぞうめん」です。




 車に乗っていると、突然激しい雨が降ってきました。島ではよくあることだそうです。


 友達は学生時代、喜界島や奄美地方にある独特の木造倉庫を調査研究して、論文を書きました。高床式のその倉庫は、高倉(たかぐら)といいます。何棟かの高倉に連れて行ってもらいました。


 詳しいことは僕はあまり把握できませんでしたが、誤解を覚悟で言うと、今も残っている高倉は、昔ながらのカヤ葺きから表面仕上げや用途を変えつつ、建ち続けているそうです。しかし個人の資産なので、高倉の最終的な処遇は持ち主の判断に委ねられるとのこと。




 ガジュマルの大木も案内してもらいました。枝から地面まで気根が垂れ下がっていました。


 蒲生(かもう)や阿伝(あでん)という集落では、車を降りて歩いてみました。








 喜界島の土地は隆起したサンゴ礁で出来ています。人々はサンゴを道に積んで石垣としました。阿伝をはじめとする集落は、そのサンゴの石垣が多く残っている町並みで知られているようです。








 また、喜界島にはハブが生息していません。サンゴ石垣のすき間にはハブが棲みつく恐れがあるのですが、喜界島に関して言えば、その心配はいりません。







 家の庭には、バナナが多く植えられています。自分の家で食べるために栽培しているそうです。植生は僕の地元の新潟とまるで違う印象です。





 友達は所用のためいったん帰宅、僕は塩道という集落の海浜公園で降ろしてもらいました。昼寝しながらのんびりしました。


 この日は「ビジネスホテル喜界」に宿を取ることにしました。
 再び迎えに来てくれた友達は、島のライブハウス「サバニ」に連れて行ってくれました。明るい人柄のお客さん達・お店の人達から大いに歓待を受けました。たいへん楽しませていただきました。
 僕は楽器の「三線」に興味があったのですが、店に来ていた奄美島唄の唄い手という二十歳過ぎの青年が、三線を取り出し、目の前で数曲唄ってくれました。ナマで聴く、哀愁を帯びた奄美島唄の唄声に、完全にヤラれました。 


(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)

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