別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Saturday, May 20, 2006

TAKEMITSU

北浦和で一泊して、土曜の朝に東京に向かった。

まず神田神保町かいわいへ行き、建築雑誌のバックナンバーなどを買った。
天気予報は雨がちだったが、実際の天気はすごく良く、強い日差しで汗をかいてしまう。磯崎さんの 『お茶の水スクウェア』 が青空に屹立している。まるでCG表現みたいに出来すぎた絵だ。


その後、渋谷に向かい、渋谷電力館に行く。『11人の著名建築家によるプロポーザルコンペ』 の結果がパネルと模型で展示されているのを見る。集合住宅の計画のコンペだ。
一等の長谷川逸子案は、30戸ちかい住居を分棟させて、敷地に分散配置している。西沢立衛の 『森山邸』 を連想する。この種の分棟分散タイプは、これからコンペや学生の設計案などで、流行・消費されていくんだろうな。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20060519/129563/

渋谷から地下鉄で乃木坂へ行く。TOTOの 「ギャラリー間」 で 『手塚貴晴+手塚由比展』 が開かれている。
最新計画案の 『ふじようちえん』 の模型が展示されていた。この模型はすごく大きく、部屋いっぱいに展示されていた。1/10というスケールなので、屋上のウッドデッキの張り継ぎの位置など、細部の表現もかなり意識されている。
かたわらの壁面には 『ふじようちえん』 の小さいスタディ模型がたくさん展示されている。初期イメージを探るためらしい、ざっくりとした模型だ。数えてみたら63個あった。

ギャラリーの中庭は、コールテン鋼製の 『キョロロ』 の模型を使ったインスタレーション。上のフロアは、さまざまな計画案のスタディ模型のおびただしい山だった。今日は会期の最終日で、ギャラリーは建築学生でいっぱいだった。


ギャラ間をあとにして、初台の東京オペラシティに向かった。アートギャラリーで 『武満徹 Visions in Time 展』 が開かれている。
代々木上原で乗り換えるとき、天気予報どおりに雨が降ってきた。それもひどい雨だ。

オペラシティに着く。ところどころに見られるコンクリート打放しの柱は杉板型枠、アートギャラリーの内壁はクロス貼り+EP仕上げ、どちらも設計者の柳澤孝彦さんのデザイン・ボキャブラリーだ。杉板型枠の幅がかなり広い割りなので、あまり繊細な印象は感じない。
着いたのはもう夕方で日が暮れた後だった。アプローチの照明計画が見事だった。エスカレーターホール全体の明りをしぼり、エスカレーターの手すり子部分にしこまれた照明が浮き上がる。そしてその行く先に光って見える、オペラシティのロゴマーク。


『武満徹展』 の会場に入った。現代音楽を代表する作曲家・武満徹が亡くなって今年で10年だ。
『ノヴェンバー・ステップス』 の直筆スコアが展示されていた。曲を演奏するための指示の集積である楽譜だけど、グラフィック表現としてとらえてみても独特の魅力がある。すぐれた建築図面と近い種類の魅力だ。

彼が創作イメージを触発された芸術作品が展示されたコーナーがあった。キャプションには 「武満徹ほど、他の芸術家と『交感』した芸術家は無い」 と書かれていた。

オディロン・ルドンの油彩画 『眼を閉じて』 があった。眼を閉じた人物の正面の顔の、首から上の部分が描かれているが、画面の下方に地平線のような線がある。
巨大な頭部が地面から顔を出しているようにも見える。すごく不思議な絵だ。

絵の前にはベンチが設置してあり、その上にヘッドフォンが置いてある。武満がルドンの絵から触発されて作曲したピアノ曲 『閉じた眼-瀧口修造の追憶に』 が聴けるようになっている。
ベンチに腰をおろし、ヘッドフォンを耳にはめた。武満のピアノ曲が流れる。目の前にはルドンの絵が架かる壁がある。
展覧会には何組かの客が来ている。皆さんだいたいヘッドフォンをスルーしていくか、ちょっとだけ耳に当てた後、連れと一緒に次に進んでいく。つかの間、展示室には僕と曲と絵だけになる。
僕はたいがいひとりで行動している。ひとりというのはやりきれなく脆く弱いものだが、ときどきものすごく豊穣な時間が来ることがある。武満の曲とルドンの絵にひたされて、僕は考え事をした。

僕は建築に親しむより前に、美術や音楽に親しんだ。長岡から仙台に出て最初の大学に入り、建築学科に籍を置くようになったけど、学校なんか行かなかった。
武満の曲も昔よく聞いた。マンドリン・オーケストラに入って馬鹿みたいに楽器を練習したり、宮城県美術館の展示が入れ替わるたびに通いつめて絵を見たりして過ごした。そのうち大学を追い出された。

僕は折にふれ、芸術作品に心を動かされる体験を繰り返してきた。その何ともあやしいエネルギーが、今の僕を作り上げてきた。最近忘れがちだったけど、武満とルドンによってその感覚をひしひしと思い出した。

でも僕は今に到るまで、いまだに建築の世界にとどまっている。それは単に僕の性格のせいだ。いちど始めたことはなかなかやめない性格であるだけだ。とくに建築の才能があるわけではないし、もとより絵や音楽の才能に恵まれたわけでもない。本当になにかの才能があれば、もうすでになにかを成し遂げているだろう。
じゃあなぜ建築を続けているのか。なにか僕が惹かれている部分があるはずだ。

長岡に戻ってきた頃から、意識してたくさんの建築を訪ね歩いてきた。音楽や絵に感動するのと同じように建築空間に感動したことも何度かあった。
でも、建築イコール 「美」 ではないと思う。審美的な見地からだけ建築をとらえるのは間違っている。建築は何よりもまず社会的な存在である。社会と切り離されたところで建築単体がいくら美しかったとしても、僕はあまり意味を感じない。
僕にとって建築は、社会と自分を知るためのツールなんじゃないだろうかと思う。建築を考えることで、芸術のあやしいエネルギーにつちかわれてきた僕が、社会に自分をどう表明していくか、その立ち位置がさぐれるような気がする。

ツール:道具ととらえたのには意味があって、僕はいままでに、先輩建築家たちが、どのようにして最初の発想を基本設計段階までディベロップしていったか、その具体的な手段をいくつか知ることができた。さきほど見てきた手塚夫妻の63個のスタディ模型も、その具体的な手段のひとつだ。ツールとしてとらえたとき、建築は僕がやろうとしていることにおいて非常に有力に働くだろうと思われるのだ。

建築は個人的な衝動・動機から出発するけれども、具合的な手続きを経て、最後には社会において具体物として建つ。僕はそこに惹かれている。これをあらためて認識した。
どの段階も揺るがせにできないし、各段階で何をどうしたらいいか、僕は知っている。僕は建築を自分の道具として使いたおそうと思った。

……さてさて。すごく青臭くなってしまった。もうこの段階でこれ以上頭を使う必要はないだろう。
『武満徹展』では、彼のアトリエの様子も再現展示されていた。昨日のヤンセンのアトリエとは対照的に、すごく几帳面に整理されていた。

前回ログと同様に、武満のアトリエの様子を紹介したいと思います。上の写真で僕が持っているのは、『芸術新潮』 2006年5月号、記事の写真は広瀬達郎氏撮影。武満の机の上に、鉛筆と消しゴムが長さの順にそろえて並べられていたのが印象的だった。


http://www.operacity.jp/ag/

このまま長岡に帰ってもよかったけど、芸術と建築を同時に考えることができる場所が、実はもう一ヶ所こちらにある。今日は東京に泊まり、明日そこを訪ねることにした。

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I went to Tokyo Opera City Art Gallery. The exhibition was "TORU TAKEMITSU : Visions in Time".
Sometimes I had listened to his music before.

With listening his music at Opera City, I thought about the beauty and the architecture for me, as like I had done at JANSSEN RETOROSPECTIVE.


...Modinha...

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