土曜日 午前11時 さいたま市浦和区
以前からウェブを通して興味を持っていた、『i+i 設計事務所』 さんの 『浦和S邸』 のオープンハウス見学をさせていただく。画面で見ていただけなのと、実際に空間を体験するのとは、やはり格段の開きがある。スキップフロアが巧みに構成されていて、とても良い住空間の体験だった。
近くには 『別所沼公園』 があった。大きな沼を、ジョギングコースがぐるっと取り囲んでいて、たくさんのウィークエンド・ジョガーが汗を流していた。沼でヘラブナを釣っている人たちもいた。別所沼←→ウッドデッキ←→樹木←→ジョギングコースのレイヤーのからまりが、様々な活動を誘発していた。
公園は思い思いに楽しむ家族連れでにぎわっていた。都市環境の真ん中に、これだけの素晴らしい公園があることを、すごくうらやましく思った。
公園の一角には、『ヒアシンスハウス』 があった。詩人・立原道造(1914-1939)が、別所沼のほとりに建てようと計画していたものを、さいたま市民の手により再現建設されたものである。
道造は詩人としての顔の他に、将来を嘱望された建築家という一面も持っていた。東京帝大建築学科では丹下健三の1年先輩にあたるそうだ。しかし24歳というおそろしい若さで夭折してしまった。
現在 『ヒアシンスハウス』 は市民有志により管理され、週末に公開されている。家の中に入ると、ボランティアの女性が暖かくもてなしてくれた。ここに来るお客はだいたい2種類に別れ、道造の詩のファンの人か、建築がらみの人だそうだ。私のような男性はたいてい建築かぶれのクチらしい。
建物は、柱1本だけ残して戸袋に引き込まれる隅の開口部や、横長のピクチャーウインドウが印象的だった。窓台にもたれかかったり椅子に座ったり、ベッドに腰を下ろしたりしながら、他のお客さんを交えていろいろ話をして過ごした。図面やスケッチで見る限りは何てことはない最小限住居なんだが、実際に中に入ってみると、ものすごく気持のいい空間だった。これが道造の建築家としての才能というものなのかな、と思った。
開け放された窓から入ってくる風を感じ、秋の日の陽光をいっぱいに浴びながら、そなえつけてあった道造の詩集を手に取って詩に目を通してみると、まことに格別の趣きが感じられた。私はふだん道造なんて全然読まない人間なんだけど…。ものすごく満ち足りた気分になった。
午後4時 南青山 プリズミック・ギャラリー
『河内一泰展』 を見る。河内さんは若手の建築家。住宅を街に開くことを意識されているようで、その志向はおおいに共感できた。(私の解決は、河内さんとはまた違う方法を志向しているようだが。)
難波和彦さんの事務所のOBという経歴から私が勝手に持っていたイメージと違い、河内さんはかなりとんがった造形の作風だった。ギャラリーの展示は、模型・パネルのディスプレイと、あとプロジェクターで壁一面にスライドを流していて、建築展の展示としてはごく一般的な方法で、正直なところあまり心はずむものではなかった。
午後6時30分 東京オペラシティアートギャラリー
『伊東豊雄 建築 新しいリアル』 展
近作のプロジェクトの数々が紹介されていた。「エマージング・グリッド」 というコンセプトを説明するためにアニメーションが作られていた。グリッドそのものが変容していく様子や建物の形態が生成されていく様子が、黒い地に白い線だけのアニメーションで表現され、たいへんクールだった。
『各務原市営斎場』 の屋根のRC打設現場が一部再現展示されていて、観覧者は型枠がうねって組まれて配筋されたところに登って観察できるようになっている。こんなすごい勾配でコンクリートペーストは定着するのかな、と思ってキャプションを読んでみると、土木用のコンクリートを打ったと書いてある。なるほど。体験型でよく伝わる展示だった。
私がもっとも現在の伊東さんらしさを感じたのは、くつを脱いで上がりこむ大きな展示室があり、その部屋のBGMとして、底ぬけに能天気な女声の日本語シャンソン (?) が流されていたことだ。( 「地球は丸いよー りんごは赤いよー」 みたいな歌詞。) 展示室の白い床はうねうねとうねり、そこに1/30の模型たちやプロジェクターが 「ポンポーン」 と置かれている。床はところどころで小さく掘り込まれ、くぼみに座れるようになっている。歩き回ったり座ったり、自由に見てまわれる。そこに流れているのが建築展らしからぬ脱力系の歌で、これはもう心はずまずにはおれなかった。演歌がお好きだという伊東さんのひょうひょうとした人柄と、彼の建築が目指すところがわかった気がした。
現在でこそ伊東さんのイメージはそんなものだが、実は彼は若いときに菊竹事務所で鍛え上げられた経歴を持ち、建築に対しては非常に厳しい態度で臨む人であり、また彼が私くらいの年齢の頃には極度に自閉的な空間ばかり作っていた。ひょうひょうとした明るさは、実のところ人間のどろっとした情念のようなものに支えられている一面もあるようで、私は建築家を長く続ける 「継続の力」 に思いを馳せたりもした。
日曜日 午前10時 東京国立博物館
上野公園は晴れわたっていた。私の目当ては 『特別展 仏像』 だった。
特に見たかったのが 『宝誌和尚立像』 だ。博物館に入るとそれを目指して人混みのなか歩みを早めた。ナタ彫の像を集めたコーナーにそれはあった。
宝誌和尚は中国に実在したお坊さんで、強い神通力のあまり自分の顔を裂いて観音に化身したという人物で、像はその逸話にもとづいて彫られている。
初めて見る像は思っていたよりずっと大きいものだった。たぶん1800mm以上はある。それが高い展示台に据えられ、照明を浴びて、観覧者を見下ろすでもなく伏し目がちの表情をしている。そしてその顔の中央はふたつに割れ、中から観音様の顔が今まさに覗き始めている。
きわめて異形の像だ。私は長い時間をかけて見ていた。「覚醒の瞬間」 というモチーフや、人々に囲まれ視線を浴びながらも超然とありつづけているところなど、私の状況とぼんやりと重ね合わせて考えたりした。しかし、あと数十年したら私は寿命を使いきってこの世からいなくなるだろうが、その先もずっとこの像は超然と在り続けるんだな、と思ったりもしていた。キャプションを読んだら、宝誌和尚が化身したのは実は十一面観音で、中の顔は本当はもっとたくさん出てくるらしい。それを考えると少し笑ってしまった。カタログを買って後からよく見てみたら、ちゃんと上のほうに十一面らしい顔が少しだけ彫ってあった。
(パンフ、絵はがきより)
某時刻 某所
以前に訪ねた、とある住宅にまた行ってみたところ、オーナーさんのご厚意で思いかけず内部にまで招き入れてもらった。
家の中は大開口で青空が切り取られ、さわやかに抜ける風とともに、気持が良いことこの上なかった。奇異な外観をしていて、センセーショナルに建築メディアに取り上げられる前衛住宅も、中に入ってみると、この気持ちよさのためにすべてがあったんだな、と理解することができた。その気持ちよさは 『ヒアシンスハウス』 で感じたのとまったく同じ質のもので、すぐれた住宅の魅力のひとつの形というのは、いかなる場合でも案外共通しているものなんだな、と思った。
午後6時 新潟市
東京から新潟に直行して 『チャットモンチー』 のライブに行った。まるで10代のような行動力だ。
ライブはすごく楽しく、いい曲ばっかりで少し嫉妬した。わしゃもう、何かにつけ単なる観察者で終わるのは嫌やで。
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I went on a short trip last weekend. I went to "haus-hyazinth", desinged by Michizo TACHIHARA in good old days. It was very comfortable.
And I also went to an avantgarde house. It was designed in very recent days and it had a very strange outward appearance. But when I was in it, it was very comfortable just like "haus-hyazinth". I've found that every good houses has similar disposition of comforts whichever they look like modest or like strange.
...Modinha...
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