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私は、『越後妻有アートトリエンナーレ2006』 になんだかんだで結局行きそびれてしまっていたが、会期終了後の今でも見学できる作品があると聞いたので、きのうの土曜日に行ってきた。
自転車を分解して輪行袋に入れた。JR、ほくほく線を乗り継いで、まつだい駅に着いた。自転車を組み立てて、まずMVRDVの 『農舞台』 に行った。
行きの電車の中では、事務所から借りた本・『MVRDV式』 を読んだ。設計のプロセスで特に興味を引かれたのは、敷地は何本かの通行動線や既存アート作品への視線の結節点であり、それら動線や視線の分割によるゾーニングがそのまま建物の平面プランに反映され、要求された各部門の床面積を満たしているという点だ。
建物が地上からリフトアップされているのは積雪対策と眺望の確保のためであり、屋上の鉄骨架構がぽこぽこトゲトゲしているのは応力の分布に対応しており、全体の鉄骨量を減らすのが目的である。形やプランニングはなんとも奇妙だが、実はそれらは設計コンセプトをシンプルに形態として満たしている。3年前に初めて来たときよりもそれがよくわかった。スケールもよく理解できた。建物の中からの眺望は素晴らしかった。(コンセプトに納得。) レストランのカレーはおいしかった。
芸術祭の作品のうち、『脱皮する家』 をどうしても見たいと思った。農舞台を後にして自転車に乗り、登り道を漕ぎ出した。真夏の会期中と違い、町も道もそんなに混んでないし、何組かは作品の見学が目的らしい人たちもいたけど、まあのんびりしたものである。何よりも気候がいい。真夏に自転車を漕ぐのはちょっと考えてしまう。
越後妻有は、本当に美しい。大地の芸術祭が始まる前は、同じ新潟県内に住んでいても、まったくなじみが無かった地域だ。何と言うか、北川フラムさんの彗眼にお礼を言いたい気分だ。さわやかな秋の空気のもと、里山の自然と人々の暮らしは、どこにカメラを向けても絵にならない場所が無かった。谷をはさんで、自分の今いる所から向こうの山の斜面まで、びっしりとススキに覆われた場所があり、圧巻だった。
道に迷いつつ1時間半ペダルを漕いで 『脱皮する家』 にたどり着いた。
自転車を停めて中に入った。雑誌記事やテレビで紹介されていたのをたくさん見ていたせいなのか、最初はあまり何も感じなかったが、裸足になって歩き回り、床から天井まで隙間の無い彫り跡に目が慣れてくるうちに、だんだんどういうことなのか解ってきた。建物には次々と人が訪れていて、みな驚きの声をあげて、「住んでみたいね」 と言っている人もいた。
2階に上がってみると、窓からは西に傾きかけた太陽の光が差し込み、びっしりとノミで彫り付けられた部屋をオレンジ色に照らしていて、言葉を失ってしまった。この家を彫りとげた瞬間の、日大学生チームの人たちの気持ちは、どのようなものだったんだろうか。せがい造りで持ち出された2階の掃き出し窓には手すりも無く外気と直結していて、篠原一男の初期の住宅を思い出したりして印象に残った。
『脱皮する家』 が閉館する時間まで過ごしたあと、自転車に乗り、まつだい駅まで引きかえした。帰りは下り道だったから、1時間半かかったところを20分で駅までたどり着いた。
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I went to Matsudai yesterday with my bike. I enjoyed some art works of "Echigo-Tsumari Art Triennial 2006"and the rich beauty of the nature in Echigo-Tsumari.
I understood that some actions like art could realize the worth that had been already there and had never been seen before.
...Modinha...
Sunday, October 29, 2006
some aspects of beauty in Echigo-Tsumari
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