7日目は、広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」を訪ねました。
JR福山駅からバスで約30分、鞆の浦の海に着きます。
鞆の浦は、かつては潮の流れが変わるのを待つための重要港湾として、たいへん栄えたそうです。また景勝地としても知られ、万葉集にも詠まれているそうです。
対潮楼というお寺からの、鞆の外湾の眺めです。
お社がある手前の小さな島が「弁天島」 その奥の森に覆われた大きな島が「仙酔島」です。
鞆の内湾の港です。
江戸時代の港には、特徴的な「5点セット」というものがあり、全て残っているのは鞆の浦だけだそうです。
港湾施設の5点セット
その1 「船番所跡」
いま建物が建っている石垣(ツタに覆われている)の上に、かつて船番所があり、港に入る船を監視していたそうです。
その2 「波止場」
江戸時代の波止場がそのまま残り、今も現役で使われているそうです。花崗岩を積んであります。
その3 「雁木」
雁木と言えば雪国の人間には「和製アーケード」のことですが、鞆での「雁木」とは、船着場の石段を示します。どんな潮位でも船が着けられるよう、海に沈んだ階段状になっているとか。
その4 「常夜燈」
大きく優美な姿は、そのまま鞆の浦のシンボルでもあります。
その5 「焚火場(たでば)」
船底のフジツボなどを落とすため、火を焚いて船底を焼いてメンテナンスをしました。作業に便利なように、地面に石を敷き詰めて「焚火場」としたそうですが、大潮の干潮時にしか姿を見せません。写真では焚火場は海の中です。
また、ジブリの宮崎監督が鞆の浦を気に入り、民家を借り切って滞在し、『崖の上のポニョ』の舞台として構想を練ったとか。
そして、坂本龍馬の活躍の場でもあったそうです。この年(2010年)は大河ドラマもあり、龍馬めあての観光客も多いようでした。
鞆には古い建物や路地の町並みが、たくさん残っています。ほんのほんの、ごく一部です。
ラムネのおばちゃん
道を教えてくれたおじさま 仏像制作がご趣味だそうです。
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鞆の浦には、開発計画があります。港を埋め立て橋梁を架け、交通の便を良くする計画のようです。もし実現すると、古い港湾施設と由緒ある景観が損なわれることになります。近年は景観に少し配慮した別案なども出ているようですが、開発事業そのものは、現在「見直し停滞」という状態のようです。
僕が鞆の浦を訪れたかったのは、まず鞆の浦の景観を見たかったこと、そして開発の現状を感じたかったからです。ゆるやかに弧を描く鞆の浦の港の景観、たくさん残る古き良き建物や路地を、一日かけて歩きました。旅人としてはこの景観が失われるのは反対です。しかし、生活道路の狭さと車通りの難儀さ、開発推進の人が掲げているのぼりなども目にしてきました。どのような結論に落ち着くのか、忘れずにいようと思います。
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鞆を離れてから手に入れた本です。『日本の宝 鞆の浦を歩く』 三浦正幸(広島大教授)/著 南々社
鞆の浦の町並みが形成された経緯から、その歴史を読み解く根拠となる建物のディテールまで、たいへん詳しく載っています。もしまた鞆を訪れる機会があるなら、ぜひこの本片手に歩きたい。そのときは一日じゃ、ムリです!
さて、鞆の浦を後にしてバスで福山駅まで戻り、そのまま一気に九州入りしようと思いました。
福山駅を16時半ころ出発しました。例によって18きっぷで、福岡県の門司港駅を目指しました。
途中通過の気に入った駅 福川駅(山口県)
門司港駅には、23時過ぎに到着しました。実は門司港駅には以前に来たことがあり、僕の大好きな駅舎なのです。
ホーム上屋も好きです。
関門連絡船の通路跡です。門司港駅でここが一番好きな場所です。
門司港駅付近には土地勘があり、また安く泊まれる宿は無さそうなことを知っていたので、「門司港レトロ地区」の某所で、この旅で2度目の野宿をしました。
※
ちょっと都合により、ブログの更新を2週間ほどお休みします。
また再開しますので、それまで過去記事などでお楽しみくださると幸いです。
旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。
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