別ブログもやっております! 50年間の役目を終えた「長岡市厚生会館」! その静かなる有終の日々…
「MOANIN' 長岡市厚生会館」

Saturday, April 08, 2006

Shiogama & Sendai


小旅行の行き先は、仙台でした。

強行軍だが、金曜の夜に長岡を出て、土日で仙台と東京に行こうと思った。
長岡発19:23の新潟行に乗った。今回の移動はほとんど「18きっぷ」で普通電車だ。

磐越西線に乗り換え、会津若松に22時過ぎに着く。駅前のホテルで一泊する。

土曜の朝、5時半にホテルを出て、6:00発の郡山行に乗る。郡山から福島までは新幹線を使う。
福島からは東北本線の普通電車で、仙台をめざす。

仙台に行くのは少し緊張する。

僕は高校を出てから、10年くらい仙台に住んでいた。
長岡に戻ってきて大学に入りなおして、1年生の夏休みに、名取の針生承一さんの設計事務所で2週間オープンデスクをした。 仙台はそれ以来だから、5年ぶりだ。

昔の思い出がいろいろあり、愛憎半ばする土地なのだ。どんな気持ちになるのか。
白石を過ぎるあたりから不安になってきた。

でも、電車の窓から、岩沼の工場群が煙を上げているのが見えたとき、精神がスーッと昔に戻った。
点と点の記憶がつながった。僕も仙台も昔のままだ。不安は消えた。

電車は仙台駅に入る。そのまま乗り続け、塩釜をめざす。
目的は、阿部仁史さんの新作、「菅野美術館」だ。
塩釜に近づくと、電車の窓から、山あいの住宅の中に美術館が見えた。

菅野美術館は、阿部さんの作品集で計画模型を見たとき、すごく気になった。

なぜかというと、唐突だが、僕はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に入れ込んでいて、1番のプレリュードを聞くと、なぜか建築のことを考えてしまう。
バッハのシークエンスと建築空間のシークエンスの関連は、僕にとってのテーマのひとつだ。

そのテーマを抱えている僕が、美術館の計画案を見たとき、一種の「やられた感」があった。
限定されたキューブの中にスチールのパネルを組み込んで部屋とスロープに分節し、シークエンスを生み出している。すごく鮮やかだ。
僕はバッハの平均律曲に少し通じるものを感じた。

客観的には、「バッハ的」と言うより、「定型詩的」と言うほうが正確かもしれない。
最近、雑誌で竣工写真が発表された。内部は真っ白で、シークエンスや空間性の面白さよりは、むしろ高い造形性のほうが強く感じられた。実際に行ったらどんななんだろう。

バッハのことはさておき、電車は塩釜に着いた。雨が降り始めた。
方向にあたりを付け、歩き出す。高台の上に美術館が見えかくれする。


住宅地の坂道を登りきると、美術館にたどり着く。
菅野美術館は彫刻を展示するために建てられ、この3月末に開館したばかりだ。
建物の一番上の階にアクセスして、下の階へ降りながら、彫刻の展示をめぐっていく。展示フロアレベルは全部で4つ。
阿部さんの解説によると、ホワイトキューブのような均質空間ではなく、彫刻と空間が呼応して固有な場となることを目指して設計したそうだ。


10時の開館と同時に中に入った。
立ち止まり、彫刻を見る。そして次の部屋へ降りていく。一番下の部屋は一気に大空間になる。
建築雑誌に載っていた写真は真っ白けな感じだったが、彫刻が置かれると、にわかに面白い空間になる。

開館記念で、たくさんの彫刻とデッサンが展示されていた。ただ僕の感想では、オープンして間もないこともあり、まだ彫刻と空間がうまく呼応しているとは言えないと感じた。運営面も含めて、美術館が使いこなされるまでには、もう少し時間が必要なのだろう。

彫刻専門の小美術館としては、糸魚川の谷村美術館が思い出される。谷村美術館は入口と出口が別々に設定されたワンウェイルートだが、菅野美術館は一番下の部屋を見た後は最上階まで引き返す方式だ。
上に戻るときに、見てきた作品と再会する。上り階段の先の女性像と目が合ったときは、ハッとした。(ベタだけど)

彫刻と空間が呼応する体験としては、いまのところ谷村美術館のほうがすぐれていると思う。でも菅野美術館は、空間の造型感覚が現代的で、刺激にあふれている。阿部仁史さんの造形力には、まったく舌を巻いてしまう。

学芸員の方といろいろ話をした。開館記念期間が終わると常設展示になり、もっと作品点数を絞った展示になるそうだ。また、阿部さんの作品展も予定されているらしい。
美術館が使いこなされていけば、作品と対峙し思いをめぐらせるのにもってこいの、素晴らしい美術館になるだろう。
もしこれが近所にあったら、折にふれて通ってしまいそうだ。


http://www.kanno-museum.jp/

http://www.a-slash.jp/works/project/ssm/ssm_index.html


美術館をあとにして駅に戻り、電車で仙台に向かう。
仙台に着いた。駅に降り立つ。
懐かしいペデストリアンデッキ。
と言うか、もう僕の感覚は仙台にいた当時に戻ってしまっているので、「懐かしい」というのは正確ではない。


旅の都合上、仙台には4時間くらいしかいられない。中心市街地をひととおりまわる事にする。
街の印象は、僕が住んでいた頃と全く変わっていない。
5年前に2週間だけいたときは、知らない大きなビルや店がたくさん建ち、以前の仙台とずいぶん変わってしまった印象を受けた。でも今回は、住んでいた頃と全く同じ雰囲気を感じる。

青葉通を歩き、片平の方に少し立ち寄る。昔よく来た「中華スーパーレストラン・天龍」(←すごい名前)で食事をする。
昔みたいにホイコーロ定食、ではなく、焼肉定食をたのむ。カウンター前の厨房では、調理人のおにいさんたちが、あいかわらず戦場のようなすさまじい勢いで、次々と料理を作りまくっている。


古本街を覗いてから、一番町モールへ行く。店の入れ替わりはあるが、昔とまったく同じ雰囲気だ。
人々まで同じだと錯覚さえしてしまう。

広瀬通、定禅寺通と進む。定禅寺のケヤキ並木は枝をまっすぐ延ばしている。
仙台市民ならまず歩かない、定禅寺通の真ん中を歩く。
なにせ僕はもう市民じゃないからな。


メディアテークが見えてくる。
これは僕が仙台を離れてから竣工した。でも僕が訪れるのは初めてではなく、工事中だった頃から何度か来ている。

竣工から5年が経っている。そのあいだ建築デザインのトレンドは変化している。何よりも設計者の伊東豊雄さん自身が変わり続けている。
メディアテークの竣工当時はデザイン手法の斬新さが話題の中心になった。だが今ではそれより、僕はむしろ施設の使われ方・プログラムの魅力のほうに、より大きな意味を感じる。
伊東さんとメディアテークに関しては、また別の日に書いてみたい。

メディアテークの透明な姿は仙台と仙台市民に溶け込んでいた。
建物がチューブ構造を内包しているかどうか、それは別にどうでもいい話だった。


国分町を抜けて、駅へ戻った。「仙台四郎」の絵ハガキを探したけど見つからなかった。
夕方の上り電車に乗る。日付が変わる前に東京まで行けないことは無い。

でもやはり気疲れしていたのだろう。福島で乗り換えるとき、先を急ぐのが嫌になっ
た。早く休みたかった。
福島の街に降り立ち、駅前のホテルを見つけて、一泊した。

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I visited Shiogama and Sendai.
In Shiogama, I went to a brand-new museum, KANNO MUSEUM OF ART, desinged by Hitoshi ABE. It was so cool.
And in Sendai, I went to SENDAI MEDIATHEQUE.

I had been lived in Sendai for about 10 years since I graduated the high school in Nagaoka.
But in this trip, I didn't feel the nostalgia for Sendai.
I felt it was "natural" that I came in Sendai.


...Modinha...

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