【2010年7月25日(日)】
会津若松を朝に発ち、JR磐越西線-東北本線と乗り継ぎ、栃木県の宝積寺駅にてJR烏山線に乗り換え、那須烏山市を目指しました。目的は、山あげ祭の観覧です。
山あげ祭の「山」とは、「舞台の背景」のことです。
烏山の一般道路を上演場所として、細長い道路の始めから終わりまでを一杯に使って山が仕立てられ、そこを舞台として野外歌舞伎の余興が演じられるそうです。
「日本一の野外劇」とも言われているようです。
この日は烏山駅前の道路が、山あげ祭の余興の会場になるとのことでした。正午ごろに烏山駅に降り立つと、駅前道路には「山」の準備が整っていました。
開演が近づくにつれ、人も増えてきました。
余興は市内の6つの町が毎年持ち回りで担当するということです。2010年は金井町が当番の年でした。
そして猛暑の中、余興が始まりました。
演目は「梅川」に続いて「将門」。ガマの背に乗った将門が、煙とともに花道に現れました。
さて、余興が終わると、「山」は即座に撤収されます。何もない道路に山を設営すること(=山あげ)から山の撤収まで、すべてを祭りとして見せるのが特徴のようです。
何でもかんでも、ガンガン撤収されていきます。
おはやしの山車や、山を積んだ台車は、駅前広場で方向転換をすると、町内のどこかへ走り去って行きました。
気が付くと駅前には、何も残っていません。本当に「祭りの後」の様相です。
この日は3日間ある祭りの最終日で、このあと市の中心部の四つ辻で「ぶんぬき」というものがあるそうです。各町内から屋台が四つ辻に集結し、鐘や太鼓のおはやし合戦をするとか。
地図上の赤いピンが、ぶんぬきの四つ辻です。四つ辻に向け、子供神輿が列をなして練り歩きます。道幅が狭く、また道にゆるやかなアップダウンがあるのが印象的です。人が集まります。
ぶんぬきのおはやし合戦の始まりです。
四周から沸き起こる鐘や笛太鼓で、耳がつんざかれるようです。
突然、ゲリラ的に大雨が降ってきました。観客の傘の花がいっせいに開き、屋台には懸命にビニールの養生が掛けられました。
ぶんぬきが終わり、屋台が四つ辻から去っても、雨足は強くなる一方です。人々はみな、軒下に入って雨宿りをしています。
雨はなかなか止みません。「軒の出が900mm程度あれば、ゲリラ豪雨でもなんとかしのげるのかな」などと思いながら、僕も雨宿りをしていました。
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この日は積極的に建築や町並みを見た訳ではありませんが、町の動的な一面、烏山の人が祭りにエネルギーを爆発させる様を見届けることができました。特に、ぶんぬきに集まる人が列をなしていた、ゆるやかなアップダウンのある狭い道路の光景が、僕の印象に残っています。
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弱まる雨を見計らい、夜店の道を抜けて、烏山駅に戻りました。
この日の宿は、JR烏山線-東北本線と乗り継いで宇都宮まで出て、市内で安く素泊まりできる旅館を手早く探し、チェックインしました。
(旅に関する記事は、ラベル「2010年の夏旅」をご覧ください。)
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